モラルみたいなものに反発していた
金子:この作品は矢崎さんが学生のときに撮られたんですよね。きっかけは?
矢崎:大学時代に長崎俊一監督たちと出会い、一緒に映画を作ってたんだけど、当然、授業に出ない、単位は取れない、卒業見込みもないので、大学もうやめようかなと思ってたんです。それで親に「大学やめます」って言いに、実家の山梨に帰ったんですけど。
実はすでに大学から、授業出ないならやめたほうがいいって、勧告の電話が散々入っていたらしく。親父は「卒業証書はいらない。でもせっかく映画の学校行ったんだから、映画1本撮ってからやめたらいい。」みたいなことを言ってくれたんです。「じゃあ、1本撮って大学やめます」って。それがこの作品だったんです。
金子:今でいう「ジェンダー、セクシャリティの揺らぎ」みたいな主題で作ろうと思ったのはどうしてですか。
矢崎:あの頃、すごく好きな監督の一人、ハワード・ホークスの『脱出』(44)について書かれた本に、ローレン・バコールが財布を盗まれるシーンを、彼女が財布を盗むに書きかえたら8倍は面白くなったと書かれいて、そういうことが自分の中に埋め込まれていたんでしょうね。だから自分が書くシナリオでも、例えば、刑務所から男が出てくるのを女が出迎えるようなシーンを考える時は、その逆にしたくなるんです。女が刑務所から出てきて、男が迎えるほうが面白いなって。
他にも、夜明けの歌舞伎町で、女性同士が肩を組んで歩いていたのを当時見たんです。『風たちの午後』のビジュアルでも使われているこの感じですね。ああ、すっごくいい光景見たって思って、これを何とか画にしたいなっていうのがありました。
また、当時、沖縄から東京に来た美容師が、中野かどこかのアパートで餓死していたっていう三面記事を読んで、餓死という死に方が、その当時の東京であり得るのかなって、相当強い意志で死を選んでいるなって、その彼女の感情を画にしたいって強く思いました。
ーー当時の映画演出の流行(はやり)みたいなものもあったと思うのですが、それに一切迎合してないというか、無視してるというか、もう24歳の時から矢崎ワールド全開ですよね。『風たちの午後』は1作目だったのですか。
矢崎:それまでに8mmで2本撮ってました。これが初めての16ミリ作品だったんです。ノーマルとかアブノーマルとか、モラルみたいなものに、すごく反発していた時期でした。だから動機が愛ならやっちゃいけないことはないって思ってたんですね。『風たちの午後』を作ったあとは、次は近親相姦にしよう(三月のライオン)って思ったりしてました。世間で決められてることに対して、一度は全てに「×」(バツ)をつけようって。今は「×」じゃなくて「?」(クエスチョン・マーク)。大きいクエスチョン・マークとか、水面に小石を投げたいですね。