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『髪結いの亭主』でダンスが意味するもの──ひとりの男の愛と追憶の日々

(c)Photofest / Getty Images

『髪結いの亭主』でダンスが意味するもの──ひとりの男の愛と追憶の日々

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※本記事は物語の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。


『髪結いの亭主』あらすじ

憧れの床屋の店主と結婚をするという夢を叶えたアントワーヌ。少年時代に店主に一目惚れをし、父親に気持ちを打ち明けた時には平手打ちを喰らってしまうという事件も起きたが、それも彼にとっては良い思い出だった。妻さえいれば仕事も、友人も、子供さえも欲しがらなかったアントワーヌ。二人の幸福な日々が続いているかのように思えたのだが....。


Index


早熟な少年期の思い出とリビドーの持続



 フランスの名匠であるパトリス・ルコントの作品といえば、まず何を思い浮かべるだろう。『仕立て屋の恋』(89)、『橋の上の娘』(99)、近年であれば『暮れ逢い』(13)など、やはり個人的には情熱的な作品が並ぶ。


 40年以上におよぶ彼の長いキャリアのなかで手がけられてきた作品は、ジャンルもタッチも多岐にわたりさまざまだ。そんななか、たった一度だけ観たきりなのにもかかわらず、ずっと頭から離れなかった作品がある。理髪師の女性とその亭主の日々が綴られた『髪結いの亭主』(90)だ。映画の冒頭からラストにいたるまで、その細部を鮮明に記憶していたのである。


 本作の主人公は、もちろん“亭主”の方。理髪師・マチルド(アンナ・ガリエナ)の亭主であるアントワーヌ(ジャン・ロシュフォール)が、自身の幼き日々を、そして最愛の人であるマチルドとの10年の蜜月を回顧し、それらが交差するかたちで物語は進んでいく。


『髪結いの亭主』予告


 幼い頃のアントワーヌは、もっぱら“床屋通い”に夢中になっていた。それは散髪をするのが目的なのではなく、年の離れた馴染みの女店主とふたりきりの時間を過ごすためだ。早熟なアントワーヌ少年。シャンプー台でいかがわしい妄想にもふける彼は、この女店主に恋心にも似た強烈な憧れを抱いていたのである。そうして彼の将来の夢は、“髪結いの亭主になること”に──。こうザックリとあらすじを記しただけでも、なかなかにトリッキーな映画だと改めて思い知らされる作品だ。


 大人になったアントワーヌはマチルドに一目惚れをし、やがて、晴れて“髪結いの亭主”になることに。しかし、男と女の“愛と激情の日々”がはじまるわけでもなければ、ふたりの仲を裂くような存在が現れることもない。82分という映画の尺のなかにミニマルに収められているのは、彼らふたりの平穏な日々だ。それがアントワーヌの幼少期の回想とともに綴られていくのである。


 幼少期といえば、はたから見れば奇妙にも思える願望を誰しも持つもの。経験したことのないスポーツの選手になりたいだとか、特殊技能が要される職人になりたいのだとかが端的な例だ。これはいわば、“衝動”である。しかしこの衝動が持続すれば、やがて実を結ぶことだってあるだろう。これがアントワーヌの場合は、“髪結いの亭主になる”という「(性)衝動=リビドー」だったのだ。これを幼い者が持つことや、それが大人になっても持続することは、なんら不思議ではないだろう。




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