1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 髪結いの亭主
  4. 『髪結いの亭主』でダンスが意味するもの──ひとりの男の愛と追憶の日々
『髪結いの亭主』でダンスが意味するもの──ひとりの男の愛と追憶の日々

(c)Photofest / Getty Images

『髪結いの亭主』でダンスが意味するもの──ひとりの男の愛と追憶の日々

PAGES


「床屋」というアジール



 この「(性)衝動=リビドー」が持続した結果、大人になったアントワーヌは理髪師・マチルドと結ばれることになるわけだ。一目惚れした後すぐに、彼女を生涯の伴侶にするのだとアントワーヌは決意。髪を切ってもらっている最中、唐突に「結婚してください」と言い、無視されるのだが、次に床屋を訪れた際にはマチルドの方から彼に歩み寄る。なんとも荒唐無稽な話だ。


 しかし創作物であるにせよ、こと〈恋愛〉においては、その渦中にある当事者同士にしか察することのできない“引力”のようなものがあるということを、私たちは身をもって知っているのではないだろうか。この引力のはたらきは、“外側”からは分からない。


 この印象をより強くするのが、「床屋」という空間だ。アントワーヌが夢にまで見た空間である。これはかつてのアントワーヌ少年にとっては、親元から離れられるひとつの場であり機会でもあった。それも憧れの理髪師とふたりきり。そう、“ふたりきり”なのである。


『髪結いの亭主』(c)Photofest / Getty Images


 また、大人になったアントワーヌとマチルドにとっての「床屋」は、さらに大きな意味をもつ。ふつう床屋といえば、散髪にシャンプー、髭剃りなど、それぞれに目的をもった人々がやってくる場だ。しかしアントワーヌとマチルドの床屋は違う。そこは多くの人々に対して開かれた空間でありながら、カギをかければ外の社会や現実から隔絶され、完全なる“ふたりきり”の空間となる。何人たりとも侵すことのできない“聖域=アジール”と化すのである。


 そもそもアントワーヌは、幼少期の頃より脳内にアジールをもっていた。それは妄想空間のこと。これまた私たちも身に覚えがあるのではないだろうか。妄想によって自分の思いのままに“世界”を操作することができる、脳内のアジール。これを幼少期から強固なものとしてきたアントワーヌは、「床屋」というリアルな空間にて実現させたのだ。最愛の人と身を寄せ合ってダンスをするもよし。誰の邪魔も入ることはない。


 しかしもし、そんな空間に亀裂が生じたら?──ダンスをすることはできないだろう。この「亀裂」とは、“髪結いの不在”である。アントワーヌにとっての「床屋」というアジールは、髪結いの女性がいてこそ完成するものだ。




PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 髪結いの亭主
  4. 『髪結いの亭主』でダンスが意味するもの──ひとりの男の愛と追憶の日々