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『ハード・デイズ・ナイト』ジューク・ボックス・ミュージカルの“市民ケーン”と評された、ミュージックビデオの原点

(c)Bruce & Martha Karsh

『ハード・デイズ・ナイト』ジューク・ボックス・ミュージカルの“市民ケーン”と評された、ミュージックビデオの原点

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サウンド・トラックが目的で始まった映画作り



 映画出演の話が出たのは、ビートルズの曲が英国のヒットチャートを沸かせていた63年である。ユナイテッド・アーティスツ(以後UAと略)の音楽部門が彼らの人気に目をつけ、低予算の映画を1本作ろうと考えた。映画会社の首脳陣は、ビートルズなどまともに聴いたことなどなかったが、サウンド・トラックでのもうけを当て込んで企画が成立した。


 UAのヨーロッパ支社長のジョージ・H・オースタンが、アメリカ人のインディペンデントの製作者、ウォルター・シェンソンに映画の話を持ちかけ、シェンソンはビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインに連絡をとった。


 監督候補のひとりとしてシェンソンが考えたのはコメディ『Mouse on the Moon』(63、テレビ放映の邦題『月ロケット・ワイン号』)で一緒に組んだこともあるリチャード・レスターだ。レスターはアメリカ人だが、50年代から英国でコマーシャルやテレビのコメディショーの仕事をしていて、ミュージシャンでもあった。そんな彼は59年には『Sound of Jazz』という短編を撮り、62年には『It’s Trad Dad』という、ヘレン・シャピロ主演のミュージカルも手掛けていた。彼自身はジャズ・ファンだったが、ビートルズの音楽もすでに聴いていて、彼らの映画の話を持ちかけられて興奮したという。



(c)Bruce & Martha Karsh


 そんなレスターの起用にビートルズも乗り気だったようだ。BBCラジオの人気番組「ザ・グーン・ショー」の人気コメディアン、ピーター・セラーズ、スパイク・ミリガンなどが出演したレスター監督の短編「とんだりはねたりとまったり」(59)がお気に入りだったからだ。脚本はレスターが過去に組んだことのあるアラン・オーウェンが起用された。オーウェンはビートルズと同じリバプールの出身で、この土地独特のユーモア感覚も取り入れたいと考えた(製作上の制約はなく、彼は自由に執筆できたという)。


 映画の話は他にもビートルズのところに来ていたが、ありきたりの映画には出演したくなったようだ。それというのも、ミュージシャンとしては敬愛するエルヴィス・プレスリーが、たあいない内容の映画に出演して、その才能の使い方を間違えているように思えたからだ。また、イギリスで作られた音楽映画も、当時は低予算の安っぽい構成のものが目立ったが、これまでとは違う方向をめざしたかった。



 音楽は「ア・ハード・デイズ・ナイト」、「キャント・バイ・ミー・ラブ」、「テル・ミー・ホワイ」、「恋におちたら(イフ・アイ・フェル)」、「アンド・アイ・ラブ・ハー」等の新曲が書き下ろされた。『ア・ハード・デイズ・ナイト』のタイトルはリンゴ・スターが言った“今日はきつかった(ハード・デイ)”がヒントとなって生まれた。



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