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『ひとよ』静の暴力、愛の体温――白石和彌の新境地は「家族映画」を刷新する

『ひとよ』静の暴力、愛の体温――白石和彌の新境地は「家族映画」を刷新する

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「間違っているのに正しい」母親像を体現した田中裕子



 佐藤、鈴木、松岡が全身全霊で魅せる“我慢”=「耐えの演技」に対抗するのが、田中が圧倒的な存在感と説得力で体現する一方的な“愛”=「攻めの演技」だ。


 どれだけ子どもたちから憎まれようとも、恨まれようとも毅然としてふるまい続けるこはるの姿は、常識を超越した“母親”そのもの。その行動の裏には「自分のしたことを疑ったら、子どもたちが迷子になっちゃう」という固い信念があるのだが、彼女は真意を子どもたちに話すことはない。


 全てを自分で引き受けて、身勝手に「救おう」とする――狂気すら感じさせる母性は、劇中で幾度も形を変えて現れる。冒頭の警察に出頭するシーンを筆頭に、エロ本を万引きした雄二を強引に助けようとするシーン、大樹の妻・二三子(MEGUMI)を説得しようと暴走するシーン……子どもたちをドン引きさせてでも「救う」という“責務”を遂行しようとするさまは、言葉などなくても紛れもない愛の形を示している。




 『母なる証明』(09)や『Mommy/マミー』(14)、『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)など、「間違っているのに正しい」母親を描いた傑作は多く存在するが、やはり我々人間の中で、「母親の愛は特別で不可侵」という感覚があるのだろう。


 近年の田中の演じてきた役柄では、坂元裕二が脚本、水田伸生が演出を務めたテレビドラマ『Mother』(10)、『Woman』(13)、『anone』(18)が本作の役柄に近いといえる。誰かのために、まっすぐに間違う女性を力強く演じてきた田中の姿は、多くの視聴者の記憶に未だに強く刻まれているだろう。『ひとよ』はそれらのイメージを媒介にしつつも、田中のキャリアにおける集大成的といっていいほどの名演を、スクリーンに映し出す。




 田中の女優としての“武器”はやはりその表現力にあるだろうが、特筆すべきは「表情」ではなく「身体」、もっといえば「全身」や纏う「空気」自体を変容させてしまう部分にある。言ってしまえば「オーラ」という話なのだが、一点を凝視する演技が図抜けているのだ。彼女が眼差しを注ぐと、セリフや表情の変化がなくても、感情がスクリーンを通じて観客に伝播する。あるときは怒り、またあるときは哀しみ――決して高圧的ではないのだが、観る者の感情を一色に染め上げてしまう。まさに圧巻だ。


 本作ではそんな田中に佐藤・鈴木・松岡が3人がかりで食らいつこうとするさまがそのまま劇中の母子の関係性に直結しており、彼らを取り巻くように音尾琢真や筒井真理子、浅利陽介、韓英恵、MEGUMI、そして佐々木蔵之介がバランサーとして機能している。



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