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『マリッジ・ストーリー』愛は変わらず、夫婦は終わる――揺れる“心”を綴った悲喜劇

『マリッジ・ストーリー』愛は変わらず、夫婦は終わる――揺れる“心”を綴った悲喜劇

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関係者の離婚経験を反映した、真実味ある脚本



 ではここからは、『マリッジ・ストーリー』がなぜ高評価を得ているのか、端的に言えば本作独自の魅力はどんなところにあるのか、について「物語」「演技」「演出」等の側面から考察していきたい。


 まず大きいのは、この作品が「離婚から始まるラブストーリー」であること。といっても、日本のテレビドラマ『最高の離婚』(13)や『クレイマー、クレイマー』(79)とは通じる部分がありつつも、大きく異なる。『マリッジ・ストーリー』は、現在進行形の物語なのだ。


 冒頭から離婚協議で始まる本作は、夫婦がたどる運命を観客が同時進行で追体験していく構成になっている。協議離婚、離婚裁判、それらがいかに長く、体力のいる道のりなのか、を2時間かけて観客に体験させていくのだ。興味深いのは、ノア・バームバック監督もスカーレット・ヨハンソンも、アダム・ドライバーも、離婚弁護士役のローラ・ダーンも、全員が離婚を経験していること。バームバック監督とヨハンソン、ダーンは自身が離婚の当事者であり、ドライバーは両親が離婚している。




 また、3人のキャストは脚本が完成する前に出演が決まっており、それぞれの意見をバームバック監督と共有し、キャラクター形成に役立てていったという。ダーンが演じる離婚弁護士は、ヨハンソンとダーンの離婚を担当した実在の人物の特徴が反映されており、チャーリーを演出家に設定したのは、本作を入れてバームバック監督とは4回目のコラボレーションとなるドライバーの案だ。


 ここから見て取れるのは、キャストと監督が密に意見交換しながら、「離婚」というテーマに正面から向き合ったということ。さらにバームバック監督は実在の弁護士を監修に引き入れ、真実味をできる限り忠実に表したという。各々の実体験やプロの指摘を丁寧に盛り込んだ本作は、ファンタジーではなくリアリスティックな雰囲気を醸しており、その確かな地盤が、ドラマ部分に宿る「感情」を高めてもいる。


 つまり、ここに描かれている事象も、その都度キャラクターが抱く気持ちも、全てが実体験に根差した「本物」なのだ。協議がこじれて裁判になだれ込んでいく展開も、夫婦間の私事に他人が踏み込み、当事者である2人が置いてけぼりを食らう本末転倒な事態も、傷つけたくなかったはずなのに過去の些細な過ちや発言を互いの弁護士に拡大解釈され、泥沼の戦いとなってしまう過程も、親権を譲れない2人が裁判所や役所のポイント稼ぎに腐心せざるを得なくなるやるせなさも、本作には常に生々しい「痛み」が付きまとい、夫婦と同じように観る者をも簡単に楽にしてはくれない。




 ただ、『マリッジ・ストーリー』が決してドロドロした骨肉の争いになりすぎないのは、バームバック監督の洗練されたタッチもさることながら、そこに夫婦間の「愛」と「敬意」が常に描かれているから。そもそもこの2人が離婚を決断した経緯には互いのライフステージのズレがあり、各々の愛情のぐらつきはあるにしろ、決定的な不和でも溝でもない。そのため弁護士を立てない協議離婚を選択したのだし、結果的に裁判の道をたどるにせよ、作品を通して2人の互いへの想いは薄まるどころかむしろ強まっていくのだ。


 そしてこの映画は、その「愛情」を縁(よすが)にすることで、上質な雰囲気を保つとともに、ドラマ性を高めている。夫婦の離婚への道のりが現実味を帯びるほど、その中で示されるお互いの愛情が切なく輝くからだ。本心にあるのは「離婚したい」ではなく、「離婚するしかない」ということ。もう少し互いをいたわっていれば、観察していれば、この状況は避けられたかもしれない。バームバック監督の出世作『イカとクジラ』にも通じるテーマだが、「もう戻れない」という時間や物語の不可逆性が、本作でも残酷に機能している。我々観客が目にするのは、手順を間違えてしまった結果、終わりゆく愛だ。


 愛は、生き物だということ。きちんと育てなければ、寿命よりも早くに死んでしまうということ。『マリッジ・ストーリー』には、作り手たちがそれぞれの人生で得た哀しい教訓が色濃く反映されているようだ。



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