2019.12.01
開始5分で「好きにさせる」意図的な“落とし”
『マリッジ・ストーリー』に宿る、観る者の感情を揺さぶる哀しみ。それを加速させるのが、演出と演技、セリフだ。
先ほどバームバック監督の特徴を「悲喜劇」と書いたが、本作においては「落とし」と「余韻」が絶妙だ。まず「落とし」だが、予告編でも描かれるようにこの作品は夫婦が「お互いの好きなところ」を1つずつ語っていくシーンから始まる。実に心温まる展開といえるが、その後、これは協議離婚の一環で、互いの長所を再認識することで踏みとどまる可能性がまだあるのか、探るためのものだったことが明らかになる。
つまり、これは「好きなところ」を語っているようでいて、内実は「好きだったところ」なのだということ。それを観客が認識した瞬間、微笑ましく思っていた気持ちは一気にしぼみ、切なさが増幅するだろう。この「落下」のロジック、共感を憐憫に変えるテクニックはまさに発明だ。開始わずか5分ほどで、観客がこの夫婦を愛してしまい、「別れないでほしい」と思わせる周到な仕掛け。「掴み」の時点で、ただものでないことがわかる。
『マリッジ・ストーリー』
次に「余韻」だが、これは画面のいたるところに周到に仕掛けられている。例えば離婚裁判に係る書類を渡す際に、妻の家族があたふたするシーンは悲劇の中に喜劇性を入れており、さらにカットの終わりに数秒の間(ま)を入れることで、キャラクターの気持ちに寄り添う効果を生み出してもいる。これもバームバック監督に顕著な特色だが、物語のテンポ、呼吸がキャラクター準拠なのだ。
本作では夫と妻、双方の視点を交互に挟み込み、それぞれの感情に合わせたテンポ、トーンに設計することで作為的な乱れを生み出さない。それでいて、ここぞという場面にドラマティックなシーンを挿入し(一例を挙げれば、2人が門を閉めるシーンなど)、映画としての娯楽性をしっかり満たしている。キャラクターをリアルに描いた視点と、何十分かに1回用意されている「見せ所」のバランス感。さらに演者の繊細な演技が効果を際立たせ、淡々と見せかけながらも観る者の感情が動かされるシーンを構築している。
『マリッジ・ストーリー』
そしてまた、セリフも含めた感情の積み上げも見事だ。「争いたくない。別れても友だちでいたい」「彼に会うまで、自分に正直だったけどどこか死んでた」「過剰な言い方はしたくない」「私たち、話し合うべきね」……2人が語る言葉は、常に互いを気遣い、感謝の気持ちがこもっている。それでも、別れを決意したという事実。そして、心身を削る離婚までの道のり。感情が乗ったセリフたちは、やがて2人の「対決」のシーンへとつながる。
これまでずっと互いを気遣い続けていた夫婦が、自分の限界を迎えて互いを“口撃”しあうという、作品全体のハイライトと位置付けられる切ないシーン。ワンカットで撮られたこの場面は、およそ2日間かけて完成されたという。激昂しながらも涙を流す妻、叫べば叫ぶほど胸の痛みが広がっていく夫。舞台劇を意識したというヨハンソンとドライバーが感情をむき出しにするこの場面は、大げさでなくオスカー級と言って差し支えないだろう。それほどの熱が、画面からびりびりと伝わってくる。そしてこのシーンが最大級の衝撃と感慨を観客に与えるのは、これまでの“時間”で丹念に土台を作ってきたからだ。
『マリッジ・ストーリー』
エモーショナルをロジカルに配置するバームバック監督の卓越した構成力、期待にしっかりと応えた出演陣の演技力。本作では他にも「泣く」シーンが随所に用意されているが、全ての「泣く」動機・要因は異なっている。彼らがなぜ泣くのか、感情の流れを丁寧に見せる演出も見事だが、「泣く」というアクションにシーンごとにバリエーションをもたらすヨハンソン、ドライバーの表現力も流石としか言いようがない。
「愛している。でも、別れる」という相反する感情を感性豊かに映しとったこの映画が、Netflixによって世界配信され、どれだけの人々の心を切なく濡らしているのか。期待を込めて見届けたい。
文: SYO
1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライターに。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」「FRIDAYデジタル」「Fan's Voice」「映画.com」等に寄稿。Twitter「syocinema」
Netflix映画『マリッジ・ストーリー』独占配信中
※2019年12月記事掲載時の情報です。