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『エクソシスト』信仰を失った神父が、“神”を取り戻すまでの物語
デミアン・カラス神父=神への反逆児
カラス神父は、非常に複雑なキャラクターだ。カトリックのイエズス会に身を置く神父でありながら、精神科医でもある彼は、ジョージタウン大学で神父のカウンセリングを行っている。母親を病院で孤独に死なせてしまった良心の呵責に耐えながら、趣味のボクシングでウサを晴らそうとするが、心に刺さったトゲは抜けない。
「精神医学で、信仰の悩みは解決されない。職業や生き方の悩み。私には無理だ。もう辞めたい。信仰さえ消えた」と恩師に打ち明け、自分自身が神に不信を感じていることを告白する。カラス神父は神の僕(しもべ)ではなく、むしろ神への反逆児として登場するのだ。Damien Karrasのデミアンというファースト・ネームがDamon(デーモン)と似ているのは、偶然ではないだろう。
リーガンの母クリスが悪魔に憑かれた娘を助けて欲しいと懇願するシーンでも、「悪魔祓いなど誰もやったことがない」と拒み、「神父ではなく、精神科医としてならリーガンに会いましょう」と答える。リーガンに面会した後ですら、「娘さんに最良の療法と言うのなら、最高の病院で半年は観察を受けることです」と、あくまで精神科医としてのスタンスを崩さず、神父として事態に向き合おうとはしない。
『エクソシスト』(c)2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
貧困、差別、暴力が蔓延するこの世界で、どうして神を信じることができようか?世界を救うのは、信仰よりも科学の力なのではないか?カラスは、プラグマティックな合理主義者、科学信奉者なのだ。
しかし、この映画では“科学”は好意的に描かれない。リーガンは病院で様々な検査を受けるが、ある意味でコレがホラー描写よりも衝撃的。脳の損傷箇所を調べるために動脈に造影剤を注入するシーンでは、年端もいかない少女の首に穴が開いて血しぶきが飛び散り、あまりの苦痛にリーガンは泣き叫ぶ。
彼女を救うはずの科学的医療が全く意味を為さず、それどころか単なる拷問でしかないことが、端的に描かれているのだ。この少女を救う方法は、神の信仰以外にない。