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『ミーン・ストリート』マーティン・スコセッシ&ロバート・デ・ニーロの初タッグにみる、ギャング映画の原点

『ミーン・ストリート』マーティン・スコセッシ&ロバート・デ・ニーロの初タッグにみる、ギャング映画の原点

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リトル・イタリーを描いたスコセッシの自伝的なストリート映画



 舞台になっているのはスコセッシの故郷、ニューヨークのリトル・イタリーである。カイテルが演じる主人公チャーリーはこの街のチンピラで、裏世界で力を持つ叔父のひきぬきで、レストランのオーナーになろうとしている。


 チャーリーには3人の悪友がいる。バーを経営するトニー(デヴィッド・プローヴァル)、金貸しのマイケル(リチャード・ロマナス)、トラブルメーカーのジョニー・ボーイ(デ・ニーロ)で、ジョニーはマイケルに大きな負債を背負っている。チャーリーの叔父は成功者になりたければ、ジョニーとつきあいをやめるように忠告するが、彼はジョニーが何か問題を起こすたびにその後始末をしている。

 

 また、チャーリーはみんなに内緒でジョニーのいとこ、テレサ(エイミー・ロビンソン、後にスコセッシ映画を製作)とつきあっている。やがて、ジョニーと折り合いの悪いマイケルがジョニーに借金の返済を迫り、チャーリーはジョニーやテレサと一緒に街を出ようと考える……。




 原題のmean streetsは「危険な地域」の意味で、レイモンド・チャンドラーの言葉から取られているようだ(ただし、最初のタイトルはドノヴァンの曲から取られた「魔女の季節」だった)。この映画の魅力はその生々しいストリートの描写につきる。冒頭、リトル・イタリーでは恒例の聖ジェンナーロ祭りが描写され、通りには祭りを祝う人々やブラスバンドもいて、猥雑な熱気があふれている。映画では4人のチンピラたちがどこか薄汚れた通りをうろつく様子がとらえられる。


 スコセッシはDVDのコメンタリーでこんな発言もしている。「この映画は私の中から生まれた。私の人生そのものの表現であり、18歳くらいから20歳くらいまでの私の人生が描かれている。その頃、人々は常に危険と隣り合わせに生きていた」


 街のバーではストリッパーが踊り、男たちは昼間から酒を飲んでいる。犯罪や暴力があふれ、ぶっそうな雰囲気だ。しかし、そんな街だけが持つ魅力や緊張感が映像にリアルに刻み込まれていく(即興演出も多かったようだ)。


 狂気を漂わせる破天荒なジョニー・ボーイのモデルになったのはスコセッシの幼い頃からの知り合いで、ジョニーと彼の面倒を見るチャーリーの関係には、監督自身の叔父と父親の関係が投影されているという。


 イタリア系カソリック信者のスコセッシは、監督になる前は司祭になることを考え、神学校に通ったこともあった(ただし、ガールフレンドとロックンロールで道を踏み外して放校された)。そんな彼の興味を反映して、監督作には宗教的な要素が盛り込まれることも多い。この映画の主人公のチャーリーは人間というものはみんな罪を背負って生きて、それを償わなくてはいけないと考える。




 映画の冒頭、「人間が罪を償うのは教会ではなく、ストリートか、家庭である」というセリフ(スコセッシの声)が入るが、それが彼の考え方である。だから、チャーリーはトラブルメーカーのジョニーを背負って生きていこうとする(それが彼に与えられた刑罰だ)。


 チャーリーがマッチやガスバーナーの火に手をかざそうとする場面も出てくるが、これも宗教的なイメージとしてとらえているようだ(地獄の火で焼かれるイメージ)。また、主人公たちが通うクラブも主に赤のライトになっているが、これも地獄の色彩を意識したようだ(ちなみにタイトルバックの“ミーン・ストリーツ”という文字も赤である)。


 「私たちの世界では街のゴロツキと教会が力を持っていた」(『スコセッシ・オン・スコセッシ』フィルムアート社、デイヴィッド・トンプソン他著、宮本高晴訳)と過去のことを振り返るスコセッシ。まさに彼の原風景を見ることができる作品となっている(ただ、ニューヨークでのロケーションは少しだけで、大半はロサンゼルスで撮られている)。



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