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『ミーン・ストリート』マーティン・スコセッシ&ロバート・デ・ニーロの初タッグにみる、ギャング映画の原点
ロジャー・コーマンやジョン・カサヴェテスが若きスコセッシを認めた
スコセッシは映画好きだった父親の影響もあって、子供の頃から映画館に通い、やがてはニューヨーク大学の映画学科に進み、監督を志すようになる。そして、卒業制作として初長編の『ドアをノックするのは誰?』(67)を手がける。『ミーン・ストリート』の原型ともいえる作品で、主演のハーベイ・カイテルがJRという禁欲的なキャラクターを演じている。
敬虔なカソリック信者である主人公は人生に対して罪の意識を抱き、恋愛の問題にも悩む。最初に公開されたのは67年のシカゴ映画祭で、アメリカの国民的な映画評論家、ロジャー・エバートが<シカゴ・サン・タイムズ>にこの映画を絶賛する記事を書いている。
「この映画祭で“ICall First”(『ドアをノックするのは誰?』の前につけられていた最初の映画タイトル)は大きなインパクトを残すことになった。まさにこのような映画の出現が待たれていたからだ」
『ドアをノックするのは誰?』予告
エバートは映画史上のふたつの流れを合体した作品と考えたようだ。ひとつは『波止場』(54)や『マーティ』(55)のように人間の感情をリアルに描いたメジャーの良質の作品群、もうひとつはジョン・カサヴェテスやジョナス・メカスのようにニューヨークのアンダーグランド映画の流れである。エバートはこう評している――「このスコセッシの作品では両方のいい部分が合体されていて、アメリカの映画史はまさに新しい瞬間を迎えたのだ」
西海岸のインディペンデント界で、“B級映画界の帝王”と呼ばれたロジャー・コーマンもこの作品を気にいり、スコセッシに『明日に処刑を…』(72)を撮るチャンスを与えた。30年代の若きアウトサイダーたちを鮮烈な映像で描いた低予算映画だったが、コーマンは仕上がりに満足し、スコセッシも大衆映画を作る術を学ぶことができた。
『ミーン・ストリート』の出資者を探し始めたスコセッシはコーマンにも声をかけたが、当時、『黒いジャガー』(71)のように新しいタイプの黒人映画が流行していたので、黒人たちの俳優を集めた映画にしてくれれば出資すると申し出たという。スコセッシはこの話を断り、結局、ザ・バンドのツアー・マネージャーだったジョナサン・タプリンが製作者となった。
『明日に処刑を…』予告
ただ、『ミーン・ストリート』には『明日に処刑を…』で知り合ったスタッフたちも参加して、新人のスコセッシを助けたようだ。この映画の主演男優、デイヴィッド・キャラダインも少しだけ出演している。また、コーマンの映画『黒猫の棲む館』(64)の一場面も劇中に盛り込まれる。
『ドアをノックするのは誰?』を高く評価していたニューヨーク派のジョン・カサヴェテスは、『明日に処刑を…』のことは気に入らず、「もっと君らしい映画を撮るべきだ」とスコセッシに助言し、そのひとことが『ミーン・ストリート』へとスコセッシを向かわせた(彼はカサヴェテスを敬愛していて、彼の監督作『ミニー&モスコウィッツ』(71)のスタッフも務めている)。
スコセッシは映画仲間のひとりである脚本家、マーディック・マーティンと組み、長年、ひっかかっていた『ミーン・ストリート』の脚本を完成させた。