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『エイリアン』SF映画屈指の傑作ホラーを作った天才たちとは
鬼才アレハンドロ・ホドロフスキーの夢と挫折が『エイリアン』を生んだ?
あの黒光りする巨大な頭部を持つ“エイリアン”をデザインしたのはスイスのシュールレアリスト画家、H・R・ギーガーであることは広く知られている。リドリー・スコットにギーガーを推薦したのは、自分が書いた脚本を大きく改編され、かろうじて視覚デザインコンサルタントという役職で製作に参加していたダン・オバノンだった。
オバノンとギーガーの繋がりは、チリ出身のカルト監督アレハンドロ・ホドロフスキーが1975年にSF小説「デューン(砂の惑星)」の映画化を企画したことがきっかけだった。
ホドロフスキーは『デューン』のために世界中から最高の才能を集めようと、低予算SF『ダーク・スター』で発見したダン・オバノンや“メビウス”の筆名で知られるコミック作家ジャン・ジロー、SF画家のクリス・フォスやプログレバンドのピンク・フロイドなど多彩なアーティストを招集。出演者にはミック・ジャガーやオーソン・ウェルズ、サルバトーレ・ダリとそうそうたる名前が並んでいた。この辺りの顛末はドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』(2013)に詳しい。
『エイリアン』(C)2014 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.
H・R・ギーガーもまた、ダリからホドロフスキーに紹介されてチームに加わっていた。が、結局「デューン」の映画化は頓挫し、集められた天才集団は解散することになる。しかし、骨や性器をモチーフにしたギーガーのグロテスクな画集「ネクロノミコン2」に感銘を受けていたオバノンは、“エイリアン”の外見を決めかねていたリドリーに「ネクロノミコン2」を手渡す。リドリーも画集に描かれていた奇妙な生物に魅了され、“エイリアン”のデザインをギーガーに一任することに決めた。
ギーガーがスイスからロサンゼルスにやって来た際、あまりにも持参していたデザイン画が不気味なので入国審査で止められ、オバノンが慌てて空港までギーガーの身柄を引き取りにいった、というエピソードは笑い話だが、ギーガーと『エイリアン』以前には似たような物が存在しなかったのだから、空港の係官の戸惑いも当然だったろう。
ほかにもクリス・フォスが宇宙船ノストロモ号の初期デザインを、ジャン・ジローが乗組員の宇宙服をデザインするなど、ビジュアル面でホドロフスキーの「デューン」メンバーが参加している。リドリーは、オバノンという仲介役を得て、ホドロフスキーの座組を引き継いだと言っていい。