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『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』感情移入がもたらす映画の力とは

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』感情移入がもたらす映画の力とは


ディテールの積み重ねが、紡ぐ日常を増幅させる



 本作は、のん演じる一人の女性「すず」の日常を日記形式で丁寧に綴るアニメ作品である。子供の頃のエピソードから始まり、18歳でお嫁に行った先での日々を描いていく。シンプルにそれだけを描いている。起きて朝ご飯の支度をして、洗濯をして掃除をする。ご近所さんとのおつきあいがあり、たまには実家に戻り、また帰ってくる。その繰り返し。戦時下の激動の時代に翻弄される女性といったような、大河ロマンのような大げさのものはほとんどなく、平凡な日常生活にそっと寄り添い見つめているのがこの映画の基本だ。


 もちろんそうした生活の中にも日々のドラマがあるのだが、戦時中の物不足の中で色々と工夫してご飯を作ったり、義姉との関係のストレスから円形脱毛症になったりと、日常で起こりそうな些細なことにフォーカスしていることがほとんどだ。(円形脱毛症のくだりは些細なことではないかもしれないが。。)しかし、このような何気ない日常の積み重ねにも関わらず、何故か飽きることなくむしろどんどん画面に引き込まれてしまうのである。戦時中の日常の描写を、違和感なく「自分ゴト化」してしまい「感情移入」させられてしまうのだ。



 これは、緻密な表現ディテールを徹底した片渕須直監督の力量によることが大きい。映画の舞台となる広島県呉市の町並みや戦時下の生活を、監督が徹底的にリサーチして作品に反映させているのは有名な話であるが、監督がディテールにこだわったのはそこだけにとどまらない。アニメならではの表現手法にもそのこだわりが反映されている。


 監督のインタビューによると、通常日本のアニメでは「中抜き」と呼ばれ、原画と原画の間の中間ポーズを描いた「中割り」を入れないことが多いのだが、この作品ではあえて中割りを入れることによりキャラクターの動きを細かくし、本当にリアルに動いているように見えるようにしたというのである。例えば、ご飯を食べるシーンひとつを取っても、お箸をつかんだら、お椀の方の手でお箸を支えて、利き手が持ち替える仕草まで描いているのだそう。


 一見すると気づかないこのこだわりの積み重ねが、スクリーンを普遍的な「人の営み」で満たしていく。映画の中の日常と観客の日常がどんどんシンクロし「感情移入」していってしまうのだ。


 また、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』では、そこに、夫婦間の感情の揺れ、新たな友人との関係といった要素が、さらなるエピソードの積み重ねによって補完され、日常の営みとそれに付随してくるドラマが、より一層心に響いてくる構造となっている。




 そしてこの日常の体感が映画の基本となっていることから、当時の戦争というものが非日常のことには感じられず、戦争が日常に侵食してくる感覚をその身で体感せざるをえないのである。戦争というテーマを前面に押し出すことなく、観客に日常として体感させることにより、結果、戦争という恐ろしく異様な事態が「非日常」ではなく「日常」にある現実として、観ている側に押し寄せてくるのである。



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