アメリカを代表するフィルムメーカーたちによって生み出された『スカーフェイス』
もともと『スカーフェイス』の企画は、プロデューサーのマーティン・ブレグマンが、テレビの深夜放送で『暗黒街の顔役』(32)を観たことに始まる。アル・カポネをモデルにした、ハワード・ホークス監督による傑作フィルム・ノワールにすっかり感激したブレグマンは、この作品のリメイクを作ることを決意。『ゴッドファーザー』(72)、『セルピコ』(73)、『狼たちの午後』(75)など、数々の犯罪映画で印象的な演技を披露してきたアル・パチーノを主演に迎えることを念頭に、リメイクのプロジェクトが始動する。
ブレグマンが監督に指名したのは、ブライアン・デ・パルマ。『ファントム・オブ・パラダイス』(74)、『キャリー』(76)など、アクの強い映画を手がけてきた“カルト・ムービーの帝王”だ。デ・パルマは意気軒昂にシナリオを書き上げるが、ブレグマンが納得するものが出来上がらず、志半ばで降板。過去に『セルピコ』『狼たちの午後』でアル・パチーノと仕事をしているベテラン、シドニー・ルメットが新しい監督として招聘される。
『スカーフェイス』(C) 1983 UNIVERSAL STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED.
ルメットは、アル・カポネをモチーフにした古典的ギャング映画を、コカインに蝕まれる現代の物語として再構築することを提案。脚本には、自身がコカイン中毒者だったというオリバー・ストーンに白羽の矢が立った。オリバー・ストーンといえば、後に『プラトーン』(86)、『7月4日に生まれて』(89)でアカデミー監督賞を2度受賞するほどの名匠だ。
しかしオリバー・ストーンが書き上げたシナリオは、シドニー・ルメットの意に反して、あまりにも血と暴力に彩られた物語だった。ルメットは監督を固辞し、再びブライアン・デ・パルマに御鉢が回ることになる。
『スカーフェイス』は、ブライアン・デ・パルマ、シドニー・ルメット、オリバー・ストーンという、アメリカを代表するフィルムメーカーたちによって生み出されたのだ。