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『パラサイト 半地下の家族』滑稽さを笑えない―現代の格差に寄生した傑作

(c)2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED

『パラサイト 半地下の家族』滑稽さを笑えない―現代の格差に寄生した傑作

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万人の“興味”を喚起させるデザイナー的思考



 ポン・ジュノ監督といえば、「ポンテール」(ポン・ジュノ+ディテール)と称されるほど緻密に計算された構成が持ち味。それはストーリーにとどまらず、画面の構図や小道具に至るまで細かく“意味”が込められている。監督・脚本はおろか絵コンテも自ら手掛け、観客の目と脳にイメージを刻んでいくスタイルは、デザイナーにも近い(余談だが、彼の父親はグラフィック・デザイナーだそうだ)。


 そしてここもデザイナー的思考だが、先にも述べたように「目に留まる」「興味を引く」センスがずば抜けている。実在の連続殺人事件を脚色した『殺人の追憶』(03)、モンスター映画の新機軸『グエムル-漢江の怪物-』(06)、息子の無実を証明しようとする母を描いた『母なる証明』(09)、壮絶な貧富の差を列車内で表現した『スノーピアサー』(13)、食問題や動物保護に切り込んだ『オクジャ/okja』(17)など、これまでに多くの傑作を手掛けてきたポン・ジュノ監督だが、彼の作品は「かけ合わせ」が絶妙だ。重くなりがちなテーマにとっつきやすいサスペンスやスリラー、或いはホラーの要素を巧妙に織り交ぜ、観客の興味をぐいぐいと引っ張り続ける。


『オクジャ/okja』予告


 1969年生まれのポン・ジュノ監督は、『嘆きのピエタ』(12)のキム・ギドク監督や『ハハハ』(10)のホン・サンス監督(二人とも1960年生まれ)、『オールド・ボーイ』(03)のパク・チャヌク監督(1963年生まれ)よりも一つ下の世代。ウェス・アンダーソン監督や河瀬直美監督と同い年だ。ちょうどサブカルチャーが台頭してきた時代でもあり、彼の作品にジャンルレスな魅力、複合的な要素が強いのは、時代の流れも大きかったのではないかと推察される。ちなみに、『哭声/コクソン』(16)のナ・ホンジン監督(1974年生まれ)や、『新感染 ファイナル・エクスプレス』のヨン・サンホ監督(1978年生まれ)など、ポン・ジュノ監督の後輩たちはミックスカルチャー的な傾向がより顕著だ。


 オリジナリティだけでなく、過去の名匠からの影響をうかがわせる「引用」も小気味良い。大きなところでいうと、アルフレッド・ヒッチコック監督の存在だ。「窓から覗き見る」シーンの多用は『裏窓』(54)的で、劇中の映画棚にはヒッチコック監督の作品群が並んでいる。ちょっとした遊び心が感じられる一コマだ。



『パラサイト 半地下の家族』(c)2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED


 様々なジャンルの強みを混合させ、娯楽性と社会性を両立させるアプローチ。画面の隅にコメディの粉末を振りかけるのも、ポン・ジュノ監督が観客の心理を深く理解しているからこそだろう。『パラサイト 半地下の家族』ではこれまで以上にコメディ色を強め、裕福で純粋な家族を失業中の貧乏家族が「騙す」カタルシスを観客に感じさせつつも、中盤以降に急カーブを切り、暗闇に突き落とす。


 「自分よりステータスが低い人たちの物語」と安穏としていたら、いきなり客席の底が抜けたような衝撃性。真っ逆さまに落ちていった先は、這い上がれない“地下”だ。ポン・ジュノ監督は本作でコメディタッチを「装置」として用い、新たな進化を見せつける。



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