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『パラサイト 半地下の家族』滑稽さを笑えない―現代の格差に寄生した傑作
2020.01.14
寄生が浮き彫りにする真理――人間の本質は変わらない
ここまでは『パラサイト 半地下の家族』におけるポン・ジュノ監督の演出の妙について書き連ねてきた。最後に、脚本の魅力について考察していきたい。
先ほど紹介したように、本作のアイデアはポン・ジュノ監督の家庭教師経験から生まれたものだが、共通項も多い『スノーピアサー』以前から構想は練られていた。最終的な脚本は、およそ3ヶ月半で書き上げられたという(ちなみに撮影期間は77日とのこと)。
本作が世界的に大ヒット&絶賛を得たのは、これまでに述べてきた「娯楽性と社会性のミックス」もあるだろうが、大前提として純然たる面白さと、共感性があったからこそだろう。特にこの「共感性」においては実に秀逸な仕掛けがなされており、物語が進行するほどに観る者の内で共感性が芽生えてくる構造になっている。どういうことかというと、序盤では観客は裕福な家族と貧乏な家族の「中間」に位置するのだが、その関係性が崩れていくのだ。観客にとって「下に見ていた存在」であった貧乏な家族に“親近感”を覚え、「笑っていた対象」である裕福な家族に対する“羨望”が浮き彫りになる――。つまり我々自身が、「経済」という大きな流れの中に組み込まれているという残酷な真理に気づかされてしまうのだ。
『パラサイト 半地下の家族』(c)2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED
老いも若きも富者も貧者も登場人物も観客も結局、金というものに踊らされている現実。「運転手の枠に大卒500人が殺到する」という劇中のセリフに象徴されるように、能力があろうがなかろうが、掴めない者は掴めないまま沈んでいくしかない。それは韓国だけの問題では全くなく、近年のパルムドール受賞作がそろって「貧困」を描いているということ、そして本作の各国でのヒット&高評価が、『パラサイト 半地下の家族』が内包するテーマが世界共通の問題であることの、逆説的な証明にもなっている。この「落とし」は実に強烈で、鑑賞後も心にへばりついて離れない。まるで山水景石のように。或いは、消えない“におい”のように苦々しい後味を残す。
裕福な家庭に取り入り、リッチな生活に「寄生」するようになった貧乏家族。だがそれはあくまでかりそめであり、ある事件によって彼らは「人間の本質」に気づいてしまう。象徴的なのは、父母が交わす会話だ。「(裕福な家族の)奥さんは金持ちなのに純粋だ」と語る父に対して、母は「金持ち『だから』純粋なんだ」と返す。何気なく配置されているセリフだが、ここに本作の真髄が隠されているように思える。
『パラサイト 半地下の家族』(c)2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED
金を得たところで、身分を偽ったところで、同じにはなれないという事実。彼らはあくまで「寄生」の立場から抜け出すことはできない。半地下の人間は、性根の部分でその場所に染まってしまっているのだ。