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『エレファント・マン』見世物小屋の象男が求める、本当の意味での「人間らしさ」とは

『エレファント・マン』見世物小屋の象男が求める、本当の意味での「人間らしさ」とは


見世物小屋の自立性と、倫理の問題



 いまでこそ、障害のある人が国政に関与するようになり、ようやく就業の選択肢に広がりが見えてきたが、これが19世紀末のイギリスではどうだったか。福祉による補償や就業サポートのない時代、身体障害者にとって、見世物小屋のフリークショーは数少ない雇用の窓口だったわけだ。フリークショーの歴史は長く、古くでは16世紀半ばには、イギリスの大衆娯楽として庶民に根付いていたようである。そして、興行師は、あらゆるフリークス(奇形人間)を、国内外から招集した。例えば結合双生児、小人症、あるいは巨人症であるとか、実にさまざまだ。


 ジョゼフ・メリックの場合は、象のようなザラザラとした皮膚を有し、右腕、両足は、奇妙に肥大している。頭部から右頬にかけて、異常な腫れ物が示され、まさに半人半象である(彼の疾患に関して、近年では、プロテウス症候群とする見方が広がっている)。ジョゼフは興行師バイツ(フレディ・ジョーンズ)に拾われ、見世物芸人として放浪する日々を送っていた。しかし、19世紀末になると、人々の間に人文主義的な倫理観が形成され、次第に、見世物小屋の存在は、醜悪で、下劣で、公序良俗に反するとして、ショーを排斥する動きが強まったのだ。




 健常者、すなわち、人類のマジョリティによる慈善――あるいは偽善か――の名の下によって、見世物小屋のような大衆演芸は瞬く間に衰退していった。健常者の上辺だけの気遣いが、障害者の貴重な自立の場を奪っていった。映画の中の見世物小屋は、極めて劣悪で、卑俗な環境として描かれているが、実際の多くは、安定した収入と自立性が保証されるなど、障害者の独立に一役買っていた面もあった。


 トッド・ブラウニング監督の『フリークス(怪物團)』(32)では、実際の身体障害者が出演しているが、結果として、道義上の理由から論争が巻き起こり、興行的失敗に終わった。これは、ある意味では、障害者にとっては雇用の抹殺とも言える。ブラウニング監督は、あらゆる批判に苦しんだ挙句、映画界から姿を消した。19世紀末から20世紀初頭にかけて、こうした倫理観の啓蒙がはじまったのだ。


 劇中、ロンドン病院の権威ある外科医フレデリック・トリーヴス(アンソニー・ホプキンス)とジョゼフの出会いは、まさにそういうときだった。興行師バイツの小屋にも当局による取り締まりの手が伸び、遂には、小屋に閉鎖命令が下されてしまう。解剖学に造詣の深いトリーヴス医師は、学術的興味に駆られ、雇用を失くしたジョゼフを密かに病院に呼び寄せるのだった。



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