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『エレファント・マン』見世物小屋の象男が求める、本当の意味での「人間らしさ」とは

『エレファント・マン』見世物小屋の象男が求める、本当の意味での「人間らしさ」とは


上辺の慈善の中で求めた、本当の幸せとは



 象男の次なる居場所は、病院の屋根裏の隔離病室になった。トリーヴス医師は、誰の目にも付かない屋根裏の病室で、ジョゼフとの意思疎通を図る。ジョゼフの上唇は異常に変形し、明瞭な発音は困難だった。しかし、である。彼は、聖書の詩篇23篇を諳んじるなど、知性にあふれる豊かさを見せ、それでいて優しさを有したナイーヴな青年だったのだ。


 彼がこのシーンで唱えた詩篇23篇は、極めて多くの信者に愛唱されている。旧約聖書の詩篇の中でも非常に重要で、最も親しまれてきた言葉だ。人生の中で苦難に直面したとき、あるいは絶望の淵に突き落とされたとき、本章の言葉――たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから――を唱えれば、安らぎと癒しが訪れるのだと。ジョゼフはこの詩篇を暗唱することで、過酷な人生の中に救いを見出したのだろう。




 映画では、象男はむろん、彼を取り巻く人々にも、焦点が絞られている。中でも、親身なトリーヴス医師と、興行師バイツとの間には、どのような違いがあるのか。トリーヴス医師は、ジョゼフの稀に見る奇病を学会に発表するなど、当初は、学術的な好奇心に駆られただけだった。新聞の記事を見て、ジョゼフに会いたいという上層階級の訪問者もあらわれた。場末の見世物小屋から病院に場所を変えただけで、ジョゼフは本質的には“見世物”のままだった。ジョゼフを好奇の目にさらすという意味では、トリーヴス医師も、興行師バイツも、なにも変わらないのではないか、とさえ思う。


 演劇界の名女優マッジ・ケンドール夫人(アン・バンクロフト)でさえ、見かけだけの慈善性に溺れているように映ってしまう。病院の夜警係のジム(マイケル・エルフィック)は、ジョゼフの病室に夜な夜な侵入し、彼を、なぶり者にして楽しんだ。それでも、ジョゼフの心身は、見世物小屋のときよりも、充足感に満ちていた。ケンドール夫人の粋な計らいで、桟敷席から演劇を鑑賞したりもした。彼は、貴族、皇族の慈善の対象となり、多くの特別な機会が増えた。しかし、彼にとって、本当の意味での幸せとは、ごく普通の、ありふれた生活だったはずだ。それこそが、彼の望んだ“人間らしさ”だったのだ。



<参考>

映画『エレファント・マン』劇場用プログラム



文: Hayato Otsuki

1993年5月生まれ、北海道札幌市出身。ライター、編集者。2016年にライター業をスタートし、現在はコラム、映画評などを様々なメディアに寄稿。作り手のメッセージを俯瞰的に読み取ることで、その作品本来の意図を鋭く分析、解説する。執筆媒体は「THE RIVER」「IGN Japan」「リアルサウンド映画部」など。得意分野はアクション、ファンタジー。



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(c)Photofest / Getty Images

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