1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. ミッドサマー
  4. 『ミッドサマー』恐怖から“共感”への悪魔的誘導――自我を消し去るラブストーリー
『ミッドサマー』恐怖から“共感”への悪魔的誘導――自我を消し去るラブストーリー

(c)2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.

『ミッドサマー』恐怖から“共感”への悪魔的誘導――自我を消し去るラブストーリー

PAGES


男女の視点で作品の印象が変化



 恋愛ドラマと呼応する形で、変化する村民の描写。ここでまず注目したいのは、ダニーの「泣く」シーンだ。本作では頻繁にダニーが泣くシーンが登場するが、やみくもに描かれているわけでは全くない。1つは感情の積み上げを成立させるためのルーティンの役割、もう1つは憐憫の加速と救済のスイッチだ。


 ダニーは劇中で、泣くことを恥じている。自分自身の精神が不安定であることを理解していると同時に、「重い女」=「フラれる」ことへの恐怖心があるからだ。そのため、泣くシーンでは基本的に個室に入るか輪から離れて1人になる。しかし、「全員が家族であり、感情を共有すべき」という考えのもとで生きるホルガの村民は、独りになることを許さない。ダニーに寄り添い、共に激情を共有しようとするのだ。


 アメリカの映画を観ていて、「グループセラピー」が頻繁に出てくるなと思ったことはないだろうか? 『アベンジャーズ/エンドゲーム』(19)でもそうだし、『ロケットマン』(19)でもそう。『シュガー・ラッシュ』(12)では、ゲームキャラがグループセラピーをするというシーンがギャグとして描かれている。アメリカの人々にとって、非常に身近な“救済”なのだろう。ホルガの村民が行うこともこれに近い……ように見えるのだが、もう少しカルト的だ。



『ミッドサマー』(c)2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.


 彼らの中にあるのは、グループセラピーのような「個々の感情を尊重して肯定する」ではなく、「個々を消失させて1つになる」思想。これはともすれば、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19)で描かれたマンソン・ファミリーのような集団になる危険性をはらんでいる。しかし、大きく違うのはリーダーがいないところ。カリスマに扇動されるのではなく、「伝統」に則って生きていくという作りになっているため、取り込まれてしまいやすくもある。とはいえ、一度内に入ってしまえば「孤独」からは完全に解放されるため、悪いこととも言い切れない。かの地では、それが普通なのだから。


 先ほど「理解できてしまう」部分が『ミッドサマー』の奥深さであると述べたが、ダニーがホルガの村民に吸収されそうになるのは、そこにちゃんとメリットがあるからだ。しかも、段階を踏んで「プレゼン」がなされていくから興味深い。


 まず、家族を失ったダニーは恋人からは腫物のように扱われており、単純に居場所がない。ところが、ホルガの村民は彼女を必要としてくれる。「祭りに参加しよう」と誘い、親身に接し、「一緒に料理を作ろう」と呼び込んでくれる。さらに、彼らは「死の概念」についても新たな考えを提示し、妹の無理心中に浸されていたダニーの中に希望の光を灯していく。そして、痛みを共有しようと全力で向き合ってくれる。非常に心地がいいのだ。


 もちろん、作品全体を見渡すと、ホルガでは恐ろしい出来事が頻発し、大学生たちは身の毛もよだつような恐怖を体感する。だがしかし、外の世界で「家族が全員死ぬ」経験をして、今まさに最後の頼みの綱だった恋人に袖にされているダニーに、それ以上の絶望はあるだろうか? 彼女はホルガにやってきた時点で既にどん底にいるため、他のメンバーとはそもそも立ち位置が違うのだ。深い孤独に浸されたダニーに、理解者が現れるとき――そこにあるのは、救済以外の何物でもないだろう。


 つまり『ミッドサマー』とは、クリスチャンの視点で観れば純然たるホラー/スリラーなのだが、ダニーの視点で観れば救済のヒューマンドラマとラブストーリーなのだ。この位相のズレこそが恋愛の難しさを象徴しており、同時に観客の「共感」がクリスチャンからダニーに移行することで、作品に対するイメージも変わっていく。本作が映画として傑出している部分は多数あるが、鑑賞後のカタルシスまでも計算に入れている点は、心底恐ろしい。


 余談だが、スウェーデンでは「『ミッドサマー』を観ると別れる」という噂がまことしやかに流れているとか。映画鑑賞は、カップルの愛を試す秤になっているのだ。この辺りのムーブメントも、本作が恋愛の本質をしっかりと描いていることの証明といえるだろう(そもそも、アリ監督自身、自らの失恋体験を本作のモチーフにしているという)。


 恋の不安と痛みを、観る者に呼び起こさせる“同調”の映画。観る者にも予想外の“救済”が訪れる秀逸な仕掛け。劇場を出るときに観る者の心に去来するのは、不思議な爽快感だろう。繰り返しとなるが、本作はやはり、純然たるラブストーリーである。


 ただ、そう書いてしまうこと自体、つまり「救われた」と感じてしまった瞬間、我々はホルガの民にほだされている。もう既にアリ監督に「操作」されているのだ。


 この文章に、初めから個人の意思はなかったのかもしれない……。



文: SYO

1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」「FRIDAYデジタル」「Fan's Voice」「映画.com」「シネマカフェ」「BRUTUS」「DVD&動画配信でーた」等に寄稿。Twitter「syocinema



『ミッドサマー』を今すぐ予約する↓




作品情報を見る



『ミッドサマー』

2020年2月21日(金)より、TOHOシネマズ 日比谷他 全国ロードショー

提供:ファントム・フィルム/TCエンタテインメント

配給:ファントム・フィルム

(c)2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.

PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. ミッドサマー
  4. 『ミッドサマー』恐怖から“共感”への悪魔的誘導――自我を消し去るラブストーリー