2020.03.09
思春期という名のエニグマ
しかし、ソフィア・コッポラのグッド・センスが最大限に発揮されるのは、実はポップ・カルチャーでもガーリー・アイテムでもない。それは少女という妖しげな存在、思春期という奇妙な季節そのものがエニグマ(謎)である、という提示そのものだった。
『ヴァージン・スーサイズ』は、五人姉妹ではなく、彼女たちを遠くから見つめてきた少年たちの視点から描かれている。つまり“第三者”の視点から語られることによって、少女たちのインナー・ワールドにアクセスすることができない構造になっているのだ。だから、美しい姉妹たちが死を選んだ原因は、最後まで明かされない。いや、正確にいうならば、理解できない。自殺をはかった末娘セシリアは、医師がなぜそんなことをしたのかと尋ねると、「先生は13歳の女の子ではないもの」と答えている。これが解答のすべてだ。思春期の少女たちにしか理解し得ない「何か」、たやすく言葉にすることができない「何か」が、彼女を疲弊させ、幻滅させ、絶望させて、死に追いやったのだ。
ソフィア・コッポラは、「少女=謎」というあけっぴろげで理解不能な方程式だけを開示したまま、物語を終わらせてしまう。原作ではその謎に踏み込んで書かれているにも関わらず、だ。この語りのセンスこそ、『ヴァージン・スーサイズ』をガーリー・ムービーの古典に押し上げた最大の要因である。
鋭敏な嗅覚を頼りにして映画界に乗り込んだソフィアは、その後『ロスト・イン・トランスレーション』でアカデミー脚本賞、『SOMEWHERE』(10)でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。名実ともにフィルムメイカーとして揺るぎない地位を確立する。
第76回アカデミー賞授賞式で、プレゼンターとして登場したフランシス・フォード・コッポラは、ソフィアに向かって「ついに家業を引き継いでくれたんだね」とマーロン・ブランド(つまり『ゴッド・ファーザー』のヴィトー・コルレオーネ)の声真似で語りかけた。ひょっとしたらあの日が、コッポラ一族のボスの座が父から娘に移譲された、歴史的瞬間だったのかもしれない。
参考資料:ユリイカ2018年3月号「特集=ソフィア・コッポラ」
文:竹島ルイ
ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」主宰。
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