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『ロスト・イン・トランスレーション』ソフィア・コッポラが見た「東京」の表情

(c)Photofest / Getty Images

『ロスト・イン・トランスレーション』ソフィア・コッポラが見た「東京」の表情

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『ロスト・イン・トランスレーション』あらすじ

ハリウッド俳優のボブ・ハリス(ビル・マーレイ)はウイスキーのCM撮影のために来日するが、撮影現場では言葉の厚いの壁に阻まれ、うまく意思疎通が図れない。ホテルではアメリカにいる妻から度々送られてくるFAXにうんざりさせられ、疲れているのに眠れず、一人、ホテルのバーで過ごす日々。一方、シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)は、売れっ子カメラマンの夫について来日し、たまたまボブと同じホテルに滞在していた若妻。仕事で多忙な夫とはすれ違い、ボブと同じく不眠気味であった。互いに孤独感を抱えた二人は出会い、ホテルのバーで初めて言葉を交わす。シャーロットはボブを誘って東京の街に繰り出し、二人はシャーロットの友人である日本の若者たちと、クラブやカラオケで開放的な時を過ごす。かなり年の離れた二人であったが、いつしか、異国東京で行動を共にするようになっていた。


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    ソフィア・コッポラの実体験を映画に



     のっけから映像業界にしか通じないネタで恐縮だが、映像製作会社の老舗・東北新社の関連会社にあたるオムニバス・ジャパンの試写室は「Sofia」と名付けられ、ドアにはソフィア・コッポラのサインが記されている。東北新社はソフィアの全作品を配給し、近作は共同製作も行っていることも関係しているのだろうが、これに限らずソフィアは幼少期、父の仕事について来日することも多く、日本と縁が深い。


     彼女の父はフランシス・フォード・コッポラ。言わずと知られた『ゴッドファーザー』シリーズ(72~90年)、『地獄の黙示録』(79年)などの巨匠監督である。今では父の名を付け加えなくとも、映画監督として独自の道を歩むようになったソフィアだが、彼女の名前が最初に世に知られた時は、親の七光でしかなかった。『ゴッドファーザーPARTⅢ』(90年)で、アル・パチーノの娘という大役に演技経験もないまま抜擢されたものの、1991年の第11回ゴールデンラズベリー賞でワースト新人賞、ワースト助演女優賞の2冠を達成し、俳優の素質なしという烙印をいきなり押されてしまった。


     数年後、映画とは別の場所で彼女の名前が注目されるようになる。ソニック・ユースのメンバー、キム・ゴードンが友人と立ち上げたブランド、X-girlにプロデューサーで参加したのと前後してファッション誌でフォトグラファー、モデル、自身のブランド、MILK FEDを立ち上げるなど、ワースト俳優の汚名を忘却させるような活躍を見せ、彼女の存在はガールズ・カルチャーの偶像と化していく。


     90年代後半にかけて、彼女は頻繁に日本を訪れている。X-girlのショーや、日本の雑誌広告へのフォトグラファー、ブランドを立ち上げてからは展示会などで来日する機会が増え、プライヴェートでも滞在することが多くなった。初めての写真展が行われたのも、東京の渋谷パルコである。


     当時、ソフィアが定宿にしていたのが渋谷のクレストンホテル。NHK近くの住宅地に建つ客室総数53の小ぶりなホテルだが、渋谷駅から宇田川町を抜けた先にあるため、文化面で最も活気を帯びた90年代半ばの渋谷をごく至近距離で見ていたことになる。2000年代に入ると、西新宿のパークハイアット東京に滞在するようになるが、ここではホテルそのものの雰囲気を気に入り、まるで引きこもりのようにホテルから出なくなる。ニューヨークバーもあれば、エステもプールもあり、快適な時間を過ごせるようになったからだ。


     こうした前提を踏まえて『ロスト・イン・トランスレーション』を観れば、一人で日本にCM撮影のためにやって来たハリウッドスターのボブ・ハリス(ビル・マーレイ)も、夫の仕事についてきたシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)も、ソフィア・コッポラ自身が投影されていることが分かる。



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