赤狩りによって不遇の時代を送った名匠ロッセン
本作を理解する上でもう一つ注目すべきは、ロバート・ロッセン(1908〜1966)監督の存在だ。
優れた脚本家として知られ、監督としても1949年の『オール・ザ・キングスメン』などの名作を遺した彼だったが、40年代後半から50年代半ばまでハリウッドで吹き荒れた“赤狩り”の猛威の中で、過去に共産党員だった経歴が暴露され、下院非米活動委員会の標的となる。委員会への証言が求められたものの、彼はこれを拒否して、ブラックリスト入り。これは事実上、映画界からの追放を意味するものだった。
『オール・ザ・キングスメン』予告
もし映画界に復帰したければ、証言台に立って元仲間の名を明かさなければならない。そうする人も少なくなかった。エリア・カザンもその一人。ロバート・ロッセンは数年間にわたって証言を拒否し続けてきたものの、最後はとうとう苦渋の決断を迫られて、証言台に立つことを決心する。
この一件で、彼は再び映画を撮ることができるようになったものの、名前を売られた者たちにとっては裏切り者であることに変わりはない。結局、彼は映画の都、ハリウッドに戻ることはなく、その後は海外やニューヨークで映画を作り続けること余儀なくされた。