1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 水曜日が消えた
  4. 『水曜日が消えた』中村倫也×新鋭監督が醸造した、「優しい新感覚」
『水曜日が消えた』中村倫也×新鋭監督が醸造した、「優しい新感覚」

(c)2020『水曜日が消えた』製作委員会

『水曜日が消えた』中村倫也×新鋭監督が醸造した、「優しい新感覚」

PAGES


中村倫也が見せた「安定感」と「含みの演技」



 中村倫也の役者としての特徴は、卓越した演技力はもとより、イメージが定着しない部分にあるだろう。「こういうタイプの演技をする人」という概念にとらわれず、強烈な役から繊細な役まで、演じられるキャラクターは何でも挑んできた。


 中村がこれまでに演じてきた千差万別なキャラクターたちはこちらの記事を参照してほしいが、主役も脇役も関係なく、作品のジャンルに合わせて濃度も調整し、作品の中に生きるタイプの彼は、役者個人としての色が固定されていない。一色にならない中村は、7役を演じるのに最も適した役者といえる。


 しかも、これはかなり重要なファクターなのだが、「1人複数役」というジャンルで観たときに、本作の主人公は個々の特徴がかなり薄いのだ。逆に言えば、地に足の着いたリアルな人物像だということ。服装やヘアスタイル、性格に違いはあれど、差をつけるためにありがちな「現実にいそうもないステレオタイプ」のキャラクターが入っていない。7役とも、私たちが生きる日常生活に自然と溶け込んでいそうな性格・出で立ちなのだ。



『水曜日が消えた』(c)2020『水曜日が消えた』製作委員会


 そしてまた、本作の特徴として――この物語の主人公は、あくまで“火曜日”。演じる際には、1人の人間を演じつつも、どこかで他の6人を想起させるミリ単位のバランスをキープしなければならない。つまり、火曜日を演じている際に、常に「含み」を持たせる必要性が生じるのだ。


 ジェームズ・マカボイの演じ分けが話題を呼んだ『スプリット』(16)は「複数の人格が1つの体を共有している」作品だが、本作ではやや異なる。どちらかと言えば「1つの人格が7つに分割された」イメージが強い。実際に、劇中では自動車事故が原因となって人格が分裂するさまが、ひび割れたドアミラーによって示される。すなわち、曜日ごとに人格は異なっているにせよ、全員に共通する“何か”を残しておかなければ成立しない。


 この2つがあったうえで、さらに「火曜日が、水曜日のふりをする」「別の曜日とのやりとりが描かれる」「ギャグパートもある」など、様々な負荷がかかったポジションに挑んだ中村。ほぼ画面に出ずっぱりであり、彼の双肩にかかった負担と責任は相当なものだっただろう。


 しかし、これも中村の“味”というべきか――観る者を心配させない「安定感」と「軽やかさ」は流石の一言。演じ分けだけでなく、「役者でなく、役に集中してほしい」とでも言うような、信念と細やかな心配りが光る。


 ブレイクまでに年月を要した苦労人でもある中村は、多彩な役どころに挑戦し続けてきた理由を「仕事がなかったから」と笑うが、これまでの経験が独自の役者道を作り、今回の7役に至る道を作っていったのは明らかだろう。『水曜日が消えた』は、15年に及ぶ彼の役者としての歩みが凝縮された役柄といえるかもしれない。



PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 水曜日が消えた
  4. 『水曜日が消えた』中村倫也×新鋭監督が醸造した、「優しい新感覚」