2020.07.16
劇中で流す曲に隠された演出意図
既成のロックやポップソングを劇中で流し、その歌詞に登場人物の気持ちを代弁させるという手法は青春映画などではもはやお馴染みだが、その源流は60年代のアメリカン・ニューシネマにある。
当時、映画音楽と言えば、作曲家が映画のイメージに合わせて作曲し、オーケストラが画面に合わせて演奏し録音するのが当たり前だった。そんな既成の映画のあり方に飽き足らない当時の若い映画作家たちは、最新のポップミュージックを劇中に流すことで、主人公の気持ちを歌に代弁させることに挑戦していった。
ダスティン・ホフマン主演の『卒業』(67)で一躍有名になったサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」は、映画製作の1年前に発表されていた。監督のマイク・ニコルズはこの曲に、主人公の気持ちと重なる歌詞を見出し、映画に使用した(結局、『卒業』のために書かれたのは「ミセス・ロビンソン」という曲だけで、あとは既成曲を使用した)。
ポップミュージックに画面の意味や登場人物の気持ちを託す手法は、『イージー・ライダー』(69)の「ワイルドで行こう」 (ステッペンウルフ) などが強烈なイメージを放ったことで、さらに一般化され、現在に至っている。
『カセットテープ・ダイアリーズ』(c)BIF Bruce Limited 2019
このような手法は、映画製作者が演出として、あくまで観客に向けて聞かせている音楽であり、オーケストラによる劇伴の代用とも言える。
しかし『カセットテープ・ダイアリーズ』では、劇中で流れるスプリングスティーンの曲は、ほぼすべて主人公がウォークマンで聞いていることが大きな特徴だ。つまり主人公と観客は常に同じ音楽を同時に聴いていることになる。
近年ではエドガー・ライト監督の『ベイビー・ドライバー』(17)でも同じ手法がとられており、本作が唯一無二というわけではない。しかし音楽より、歌詞そのものを、ここまで重視している点は類例を思いつかない。
劇中では、様々な方法で歌詞が視覚化され、観客に提示される。言葉は主人公の頭の周りを文字通り飛び交い、壁に稲妻とともに投影され、彼の人生を加速させていく。
なぜ、ここまで歌詞にこだわるのか、その答えは明らかだ。「言葉こそが世界を変えていく」、それがテーマだからだ。そして本作の時代背景はこのテーマとも密接に結びついている。