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『イージー・ライダー』ハイウェイを自由に旅する、ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソンに思いを馳せて

(c)Photofest / Getty Images

『イージー・ライダー』ハイウェイを自由に旅する、ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソンに思いを馳せて

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公開50周年目に届いたフォンダの訃報



 2019年8月16日、アメリカの男優、ピーター・フォンダの訃報が飛び込んできた。享年79.肺がんでの死去となった。近年、彼の演技が特に話題になることもなかったが、それでも亡くなったことを知ると、やはり寂しいものがある。70年代のアメリカン・ニューシネマに思い入れの深い世代としては、どんなに時が流れても、けっして忘れることのできない時代のアイコンだったからだ。


 そのキャリアにおける代表作は彼が製作・共同脚本・主演をつとめた『イージー・ライダー』である。全米公開は1969年なので、今年で公開からちょうど50年という節目の年を迎える。


 この映画が公開された時のことを、彼は生前に出版された自伝“Don’t Tell Dad”(98年出版、日本では未翻訳)の中でこんな風に回想していた。


 「1969年、7月14日、この映画はマンハッタンのビークマン・シアターで何の宣伝もなしに封切られたが、当日は何ブロックもの列がそこには出来ていた。そして、あっという間に劇場の記録を塗り替えてしまった。(中略)その後、私はこの映画で“人生が変わった”と語る多くの人に世界中で会うことになった」



 時代の転換点だった69年に封切られることで、この映画はまさに世界中で記録的な大ヒット作となった。


 日本で『イージー・ライダー』が初公開されたのは70年1月24日のこと。有楽町にあるスバル座で封切られ、アメリカ同様、劇場前に長い列ができる大ヒット作となった。この劇場で23週間(5か月半)上映され、スバル座を代表する1本にもなった。しかし、そんなスバル座も今年の秋に、その長い歴史にピリオドを打つことになっている。


 CINEMOREで『イージー・ライダー』のことを振り返りたいと思い、8月6日、ふたりの人物にインタビューを行った。当時、コロムビア映画でこの映画の宣伝を担当された大ベテランのパブリシスト・大森淳男さんと、スバル座最後の支配人・足立喜之さんである。今ではあまり語られなくなった『イージー・ライダー』の話で盛り上がり、久しぶりにピーター・フォンダの話題も出た(筆者は劇場プログラムやピーター・フォンダにもらったサインも持参した)。


 それから10日後ーー。予期しなかったフォンダの訃報が届いた。『イージー・ライダー』の公開50周年、スバル座の閉館、フォンダの死。こうしたことが、偶然とは思えないほどピタリと重なり、今回の記事はフォンダの追悼も兼ねることになった(まずは故人のご冥福をお祈りしたい)。



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