2020.07.16
ヘイトや家族の不和をも乗り越えていく言葉の力
「労働者階級に生まれたことで、人生に苦労する少年」というモチーフは、もはやイギリス映画の伝統だ。古くは社会派の巨匠ケン・ローチによる『ケス』(69)、ジェイミー・ベルがバレエ・ダンサーを夢見る少年を演じた『リトル・ダンサー』(00)などがある。
2作に共通するのは、炭鉱町の労働者階級に生まれた白人少年が、階級を越えて人生を選択していくことの困難さを描いたこと。本作は、そこにパキスタン人の移民の子、という条件が加わることで主人公をさらに生きづらい環境に置いている。
さらに時代背景も主人公に重くのしかかる。本作の舞台となる1980年代のイギリスは、サッチャー首相が小さな政府を目指し、福祉や医療のコストをカット、組合の力は弱まり労働者たちは企業の合理化によって職を失っていった時代。各地で極右団体が力を持ち、移民排斥運度を展開。劇中でも、そのような政治状況が、随所に挟み込まれている。
『カセットテープ・ダイアリーズ』(c)BIF Bruce Limited 2019
ジャベドたちの一家もヘイト運動にさらされ、彼らが住む集合住宅には「パキスタン人は出ていけ」という落書きまでされる。心無い「言葉」による攻撃に徹底的にさらされているのだ(在日外国人へのヘイト運動が横行するのは、現代の日本も酷似した状況だ)。
そんな中で、ジャベドは自らを古い価値観で押さえつけようとする父への反発や、社会への不満を自作の詩で表現している。しかし、それは書いているだけでは、力を持ちえない。言葉は外に向かって解放されてこそ力を持つ。彼は国語のクラスの教師の勧めで、校内新聞にスプリングスティーンのアルバム評を書き、地元新聞社に見習いとして入り込むことで住民の言葉をすくい上げ、記事にして世界に届けようとする。こんな彼の行動を後押しするのが、スプリングスティーンの歌詞(言葉)なのだ。
現在のSNS上で交わされる議論は、相手をやり込めるマウンティング合戦に終始しがちで、憎しみの言葉がさらなる憎しみの言葉を生む構造を孕んでいる。それは言葉の負の連鎖と言えるだろう。それに対して、ジャベドはスプリングスティーンから受け取った言葉を、自分なりの祝福の言葉に変換し、世界に拡散する正の連鎖を体現していく。その言葉の力によって、ジャベドは自らを小さな町から解き放ち、父との硬く萎縮した関係も解きほぐすまでに成長していく。