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『ハンナとその姉妹』人生は無意味である。それは人間が到達した究極の結論である。

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隠れた主人公はアレン自身



 86年の<ボストン・グローブ>の記事によれば、エリオット役をオファーされた時、マイケル・ケインはメガネをかけたい、とアレンに言ったそうだ。その理由を聞かれ、「エリオットは君だからだよ」とケインは答えたという。


 「アレンはすべてにおいて、絶対的な力を持っている。まるで独裁者だ。脚本が書けて、演技もできて、監督もできるのだから」とケインは言う。魅力的な妻の妹、リーにひかれるエリオットには、確かにこっけいなところがある。リーの後をひそかに追いかけ、通りで偶然、会ったふりをして、一緒に書店に行く場面など、アレンが演じそうな場面だ。


 この映画にはアレン自身も出演していて、ハンナの最初の夫、ミッキーをコミカルに演じている。テレビの仕事をしている、という設定は、『マンハッタン』の役柄を思わせるところがある(アレンもかつてはテレビの仕事をしていた)。“心気症”の彼は病院で検査を受けた後、自分がガンだと思い込み、死の恐怖を乗り越えようとする。そのため、ユダヤ教からカソリックに改教して、自身の神を見出そうと考える。




 最初は笑いをとるための脇役に思えたが、再見してみると、実はこの役こそが隠れた主役に思えてくる。人生に絶望し、神を見出そうと考え、死の淵に立って葛藤する。アレンが敬愛するイングマール・ベルイマン映画を思わせるような要素も入っていて、ミッキーはやがて大きな心境の変化を体験する(蛇足ながら、ベルイマン映画の常連男優、マックス・フォン・シドーも脇役で出演)。


 劇中では、「人生は無意味である。それは人間が到達した究極の結論である」というトルストイの言葉が引用される。死の淵に立ったミッキーこそが、この言葉の意味を実は誰よりも深く実感していたのではないだろうか? 


 そんな彼に生きる希望を与えるのが、マルクス兄弟のコメディ『吾輩はカモである』(33、映画館で上映される場面あり)というエピソードもマルクス兄弟好きのアレンらしい。



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