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  4. 『ハンナとその姉妹』人生は無意味である。それは人間が到達した究極の結論である。
『ハンナとその姉妹』人生は無意味である。それは人間が到達した究極の結論である。

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映画を支える3人の女優たち



 アメリカには(女優より)男優を撮ることが得意な監督の方が多い気がするが、そんな中にあってアレンは“女優の監督”として手腕を発揮する稀有な存在。


 この作品ではアレン映画の常連、ダイアン・ウィーストが女優として成功をつかめない3女、ホリーに扮している(註:日本の資料では3女はリーと書かれたものがあるが、海外の複数の単行本やレビューでは3女はホリー。アメリカの評論家ロジャー・エヴァートも「リーやハンナには3番目の妹、ホリーがいる」と書いているので、ここではホリー=3女説を採用)。


 ふんわりした優しさを見せることもできる女優だが、この映画ではエキセントリックなところもあるキャラクターをチャーミングに演じる。


 アレンはもともと<ジャズ好き・ロック嫌い>で知られているが、ホリーがハンナの元夫、ミッキーとデートに行く場面にはアレンの音楽の趣味が出ている。ロック好きのホリーがパンクロックのクラブにアレンを連れて行くと、彼はうんざりした顔を見せる。一方、ミッキーがホリーをジャズクラブに連れて行くと、今度はホリーが退屈そうだ。そのジャズ・バーで演奏されているのはコール・ポーターのナンバー「アイム・イン・ラブ・アゲイン」。自らを<コール・ポーター中毒>と呼んでいるアレン(=ミッキー)ゆえ、この曲が流れるクラブを女性に拒否されると、ショックもより大きい、という設定がおもしろい。


 ウィーストはアレン映画を支えてきた性格女優のひとりで、『ハンナとその姉妹』『ブロードウェイと銃弾』(94)で2度オスカーを受賞。ただ、ふたりが恋人同士を演じたのは、この映画だけ。その気の合った演技が見ものとなっている(パンクセンスのあるウィーストのファッションもかっこいい)。



 一方、この映画の大きな発見ともいえるのがバーバラ・ハーシー。年が離れた画家(マックス・フォン・シド―)と暮らす次女の役。70年代のハーシーにはヒッピー的なイメージがあり、マーティン・スコセッシ監督の隠れた佳作『明日に処刑を…』(72)では放浪の旅に出るヒロインを演じていたが、アレン映画では成熟した大人の魅力を発揮する。いつもカジュアルなセーターやPコートといったラフな服装なのに、においたつような色気がある。前述の自伝の中でアレンはハーシーについてこう書いている――「本当にすばらしい女優で、ずうっと一緒に組みたいと思っていた。スクリーンの彼女には強烈に人をひきつけるものがある」


 本当は『アニー・ホール』(77)を作る時、主人公の元妻の役をオファーしたが、出演してもらえなかった(代わりに『泥棒野郎』(69)のジャネット・モーゴリンが出演)。「断られた時は、本当にがっかりした。彼女の演技の深みに魅せられていて、僕とマーシャル・ブリックマンが書いた脚本をもっとふくらませてくれると思っていたからだ」。しかし、『ハンナとその姉妹』では遂にハーシーと組むことができた。「彼女は“エロス”という言葉の意味を変える力を持っていた」とアレンは自伝の中で演技を絶賛している。


 そして、成功した女優という設定の長女、ハンナを演じているのは、運命のパートナー、ミア・ファロー。自伝の中では「すごく芸域の広い女優だった」とその演技力は評価されているが、一方、私生活でのスキャンダルの顛末も語られ、このあたりは読んでいて、つらい気持ちになる。


 筆者が訳した2冊目のアレン本、「ウディ」(デイヴィッド・エヴァニアー著、キネマ旬報社、17年刊の評伝本)でも、すでにふたりの公私ともに渡る関係について細かい分析がなされていて、特に養女ディラン・ファローとの事件をめぐる部分は壮絶だった(エヴァニアーは養女虐待問題に関しては、ミア・ファローがディランを洗脳した結果、悲劇が起きた、と解釈していて、アレンの潔白を信じているようだ)。


 この評伝の中で作者は「(『ハンナとその姉妹』)の水面下には実はハンナに対する敵意のようなものも感じられる」と書いていた。ミア・ファロー扮するハンナと夫エリオットの会話には、ファローとアレンの実生活上のやりとりが反映された部分があり、ふたりの関係の崩壊は、すでに始まっていたようだ。


 映画のロケーションに使われたのは、11部屋あるというセントラル・パーク・ウエストのファローの自宅。ハンナの、女優である母親役は、ファローの実の母、モーリン・オサリヴァンが演じる(母親は年を取ることの残酷さを見せてしまう)。また、ハンナの子供のひとりを演じているのは、養子のモーゼズ・ファローで、成長した彼はアレンの性的虐待事件ではアレンを擁護している(虐待はなかったと語る)。ファローの一家が出演することで私生活もつい重ねて見てしまうが、やがて“のぞき趣味”的な好奇心は吹き飛んでしまう。


 ロマンティックで、ハッピーなトーンの作品に見えながらも、その奥に生と性と死をめぐる深遠な問いかけがあり、「人生は無意味である。それは人間が到達した究極の結論である」というトルストイの言葉に集約されていく。『ハンナとその姉妹』はとても強靭な作品だ。



文:大森さわこ

映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書に「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「週刊女性」、「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。




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(c)Photofest / Getty Images

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