新型コロナウイルスの感染問題が浮上してから映画館が苦境に立たされている。休館や上映延期が続き、特に規模の小さなミニシアターは収益の減少が死活問題となっている。
長年、ミニシアター文化に貢献してきた映画会社、アップリンクの浅井隆代表は、テレビのニュース番組に出演。「ミニシアターがなくなると、文化の多様性が失われる」とその惨状を訴えていた。いつもタフに思えた浅井代表のどこか力を失った表情が胸にこたえた。すでにこうしたミニシアターを救う運動もいくつか起きている。
本記事では2013年~2014年にかけて芸術新聞社のサイトに連載した「ミニシアター再訪(リビジット)」を再び紹介することになった。
これは、80年代以降の東京のミニシアターの歴史を関係者への取材を通じて振り返った企画。当時の劇場や街の活気、文化的な貢献や役割、そして、何よりもかかわっていた人々の夢や熱い思いについて知っていただけるとうれしい。
ミニシアターは実は2010年代にも数々の危機に直面していた。そして、近年、以前とは少し違う形で力を発揮し始めていた。
今回、新たな苦境に立たされたミニシアターを応援するため、東京の代表的なミニシアターのあった街を「再訪」してみたい。
※以下記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。
Index
大型テレビ、DVDやBDの普及。衛星放送などの充実。インターネットでの動画配信。スマートフォンでも映画を見ることができるいま、 あえて劇場へ足を運ぶことの意味とは何なのだろう?
時代は劇場の存在を流し去ってしまうのだろうか? 映画評論家の大森さわこ氏はその答えを1980~90年代に隆盛を誇ったミニシアターの中に見いだそうとする。 あの確かに劇場が熱気を帯びた一つの時代ー そこにうごめく人・街・作品を再訪[リビジット]することで、きっと何かが見えてくるだろう......。
ミニシアターとは何か?
日本で“ミニシアター”という言葉が生まれたのはいつからだろう? おそらく1980年代からではないかと思う。文字通り訳せば“小劇場”という意味で、キャパシティの小さい映画館のことをさすのだろうが、大人数が収容できるロードショー館を小さくした劇場という意味ではない。
また、一度、ロードショー公開された映画を再上映する名画座とも役割が違う。“ミニシアター”はロードショー館や名画座とは違う役割を背負っていた。そんなミニシアターとは何だったのか?
近年、東京ではミニシアターの閉館が続いている。2011年には恵比寿にあった恵比寿ガーデン・シネマや渋谷にあったシネセゾン渋谷。13年には銀座テアトル・シネマも閉じられるという。
そんな話を聞くと、ひとりの映画ファンとして、とても寂しい気持ちになる。それというのも東京でミニシアターが産声を上げた80年代前半にフリーランスのライターとしてキャリアを始め、多くのミニシアター作品の原稿を書いてきたせいだろう。