遠かったグローバリゼーション
当時、私は勤めていた貿易会社をやめて映画の世界に入った。その頃の映画界は新米のライターには厳しく、20代のかけだしは雑用係(?)から始めなくてはいけなかった。
映画雑誌や情報誌に海外の新作情報を提供するのが私のノルマで、毎月、必死に欧米の雑誌を買い集め、スターや監督に関するニュースを集めていた。今のようにインターネットはなく、CNNのようなケーブルテレビも、やっと始まりを迎えた時代。グローバリゼーションの時代はまだまだ遠く、銀座にあった洋書専門店イエナに通う日々が続いた(そんなイエナも今はもうないが……)。
当時、特に大きなインパクトがあったのが、ニューヨークやロサンゼルスの新聞や雑誌に載っていた映画の広告で、新作につけられたコピーや抜粋評を見て、まだ見ぬ映画への思いをふくらませたものだ。中にはとても日本には輸入されそうもないインディペンデント系映画の広告もあった。
その頃、日本には岩波ホールのようにいくつかの例外はあったものの、一般的には普通のロードショー館しかなく、アメリカの広告に載った個性的な映画を上映してくれそうな場所はなかった。
しかし、1981年12月に新宿に“シネマスクエアとうきゅう”がスタートして、70年代に製作されながらも日本では未公開だった幻の洋画がこの劇場にかけられた。リドリー・スコット監督の『デュエリスト』(77)やニコラス・ローグ監督の『ジェラシー』(80)や『赤い影』(73)、テレンス・マリック監督の『天国の日々』(78)といった作品である。
◉シネマスクエアとうきゅうのパンフレット『ジェラシー』、シネ・ヴィヴァン六本木の『緑の光線』、俳優座シネマテンの『眺めのいい部屋』。『眺めのいい部屋』は2012年にリバイバル公開された。
新宿に続いて、その後も渋谷や六本木、銀座といった繁華街に個性的なミニシアターが次々にオープンし、さまざまな国籍の洋画が公開されるようになった。こうしてミニシアターの時代が始まり、東京は"世界で最も多彩な映画が見られる都市"と呼ばれたこともあった。
ミニシアターの登場と共に、80年代は『ベルリン 天使の詩』(87)や『ニューシネマ・パラダイス』(89)、90年代は『トレインスポッティング』(96)、ゼロ年代は『アメリ』(01)のような大ヒット作も生まれた。