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【ミニシアター再訪】プロローグ

【ミニシアター再訪】プロローグ

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ミニシアターの変化



 しかし、時は流れ、この2、3年は前述のように歴史のあるミニシアターの閉館が報じられるようになった。


 こうした動きと反比例するように、郊外にシネコンが増え、やがては新宿や六本木にもシネコンができて、今ではそれぞれの劇場の差別化がむずかしくなってきた。


 さらに大型テレビ、DVDやBDの普及、衛星放送などの充実によって、ホームシアターの環境がレベルアップした。パソコンの配信で見ることもできるし、スマートフォンで、電車の中で映画を見ることも可能な時代になった。


 今は映画のデジタル化の問題まで浮上し、フィルムとデジタルの違いに対する議論も盛り上がっている。劇場のあり方だけではなく、映画の環境そのものが大きく変化しつつある(後記・これでは13年の状況。フィルムはロードショー館ではほぼ姿を消し、今はデジタル上映が中心となっている)。


 そんな時代、あえて映画を劇場で見ることの意味とは何だろう?


 私自身は81年に“シネマスクエアとうきゅう”のはじまりを目撃し、以後、休むことなく、雑誌や本などに映画の文章を書いてきたが、時代の過渡期だからこそ、あえて(自身の青春時代も重ねながら)ミニシアターの足跡について考え直したいと思った。


 ミニシアターの登場によって、好奇心あふれる映画ファンが増え、映画について語ることが刺激的に思える時代が続いていたが、映画の文章を書くことの意義も、今は変わってきたからだ。


 かつてのミニシアターは何をめざしていたのか? その送り手たちは何を考えていたのだろう? 映画ファンたちの気質はどう変化したのか? 関係者たちに当時の夢や思いを語ってほしいと考え、劇場の支配人や配給会社の人々に連絡をとることにした。 関係者には古くからの知り合いも多く、映画への夢を共有した時代もあった。


 そんな人々の今の映画に対する気持ちをぜひ聞きたかった。 この連載は、私にとっては一種の“センチメンタル・ジャーニー”になるだろう。 時代とともに、映画のあり方だけではなく、ミニシアターのある街の表情も変化してきた。取材を通して、ミニシアターを再訪(リビジット=再検証)することで、私なりの劇場と街をめぐる物語を描いてみたいと思う。



◉左=81年にレイトショー専門の映画館として始まった六本木俳優座シネマテンの跡地、俳優座は健在 ◉中=80年代から90年代にかけて話題を呼んだ六本木のカルチャー・ビル、WAVEの中にはミニシアター、 シネ・ヴィヴァン六本木が入っていたが、すでにビルはなく、今では跡地を特定することもむずかしい ◉右=六本木の交差点の近くの風景(いずれも2012年撮影)



次回:【ミニシアター再訪】第1回 1981・・・その1



文:大森さわこ

映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書にウディ・アレンの評伝本「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。



※本記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。なお、「ミニシアター再訪」は大幅加筆し、新取材も加え、21年にアルテス・パブリッシングより単行本化が予定されています。

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