キャメロン・クロウの理想や信念を示す「ジェリーの提案書」
さて、では「どん底」に落ちたジェリーを再生や回復に向かわせるものは何かと言うと、スバリ「愛と信頼」である。本作は例えばメジャーリーグのゼネラルマネージャー(GM)を描いた『マネーボール』(11/監督:ベネット・ミラー)のように、選手サポートの効果的な実践が具体的に描かれるわけではない。スポーツ系映画というよりロマンティック・コメディの要素が圧倒的に強い。そして誠実に「愛と信頼」を守り抜けば、必ずいつかは勝利が待っている、というとことんピュアな世界観が精神論として貫かれる。
この「愛と信頼」を通した清涼感や澄明感に触れることは、長編監督デビュー作『セイ・エニシング』(89)から続くキャメロン・クロウ映画の醍醐味のひとつでもある。『ザ・エージェント』に登場する書類「ミッション・ステートメント」は、実際にクロウが(ジェリーと同じように)一晩かけて書き上げたもの。つまりは、まさに彼自身の仕事(=映画作り)の理想や信念を示すものではないか。この貴重なテキストの日本語訳が「ジェリーの提案書」と題され、劇場用パンフレットと、公開20周年のアニバーサリー・エディションのブルーレイ・ディスクに封入されていたのは、今となっては非常にありがたい。
ちなみに、ジェリーの心の師として要所に登場するディッキー・フォックス役は、なんと当初、クロウがこよなく尊敬するビリー・ワイルダー監督に依頼していたらしい。結局、出演は叶わなかったが、その時のコンタクトをきっかけに、名著として知られる師弟インタビュー本『ワイルダーならどうする?――ビリー・ワイルダーとキャメロン・クロウの対話』(00/訳:宮本高晴/キネマ旬報社刊)につながったという経緯がある。
『エリザベスタウン』予告
おそらく自身の思想性をバランス良く体現する作品に仕上がった『ザ・エージェント』は、監督本人にとっても「キャメロン・クロウ主義のテンプレート」として認識されたのではないか。同様の「どん底に陥った男の再生劇」は、まず『エリザベスタウン』(05)でボリューミーに変奏される。
大手シューズ会社で致命的な失敗をやらかした青年ドリュー(オーランド・ブルーム)が、フライト・アテンダントのクレア(キルスティン・ダンスト)との出会いにより自己再生の光を見つけていく。初対面のシーン(あるいはそれに準ずる場面)が飛行機の機内であるところや、青年の元カノがいかにも世俗的な価値観に染まっている図式なども『ザ・エージェント』と同じだ。
また、いつも赤い帽子を被っているクレアはどこか詩的な幻想性を帯びたキャラクターであり、そのロマンテイックなヒロイン像は『あの頃ペニー・レインと』(00)のペニー・レイン(ケイト・ハドソン)を思わせる。言わばクロウの個性が特別な濃度で表出した、作家性の「極」が『エリザベスタウン』だ。
先述したターニングポイントの2010年以降も「どん底に陥った男の再生劇」は続く。妻を亡くしたコラムニストの男性が動物公園の運営に乗り出す『幸せへのキセキ』(11)。人生に躓いた軍事コンセルタントがハワイで新しい恋を見つける『アロハ』(15)に至っては、最初に流れる曲が『ザ・エージェント』と同じくザ・フーの「マジック・バス」(68)なのだ!