メタフィクショナルな快楽
映画は作品単体で語られるべきか、もしくは監督の作家性やテーマを鑑みてほかの作品との繋がりを楽しむべきか。決まった答えはないし、どちらも映画の楽しみ方のひとつだろう。ただし『セブン』の魅力はどちらにも当てはまらない。『ゲーム』が提供するのは、『セブン』という映画が存在する現実世界に生きる私たちが、それゆえに監督の引っかけにコロッと騙されるというメタフィクショナルな快楽なのだ。
もうひとつ付け加えるならば、『ゲーム』はネタがわかったところで価値が損なわれるような程度の作品ではない。2度、3度観ることで、劇中のゲーム会社CRSの涙ぐましい努力と、どんな手を使ってでも顧客を驚かせ、そして喜ばせたいという過剰なまでのサービス精神が見えてくるのだ。
CRSとは、架空のストーリーで誰かの人生を変えるほどの体験をさせたいという、まさに“映画”という表現そのもののような理念を持った企業。大袈裟に言わせもらえるな ら、CRSという奇妙な会社は、映画の作り手と観客との共犯関係の写し絵でもある。『ゲーム』はフィクションを楽しむ、そんな当たり前の行為について考えさせてくれる、哲学的な作品でもなる、と言えば、多くの人は笑うだろうか。笑ってもらって構わないが、筆者はわりと真剣なのである。
文: 村山章
1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。
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