※本記事は物語の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。
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“どんでん返し”と“どんでん返さず”の狭間で
デヴィッド・フィンチャーの監督作で、おそらく最も過小評価されているであろう『ゲーム』。毀誉褒貶の激しさについては大いに反論したいところであるが、多くの観客を戸惑わせた(そして一部の観客を夢中にさせた)大きな理由に、“どんでん返し”、 いや、さらに一周まわって“どんでん返さず”な構成があることは別の記事でも述べた。
この“衝撃のオチ”については、初期のシナリオにはなかったものをフィンチャーの希望で改変されたのだという。当初の展開では、主人公のニコラスは謎のゲームを仕掛けるCRS社の息のかかった女性クリスティーンを殺し、絶望して自殺してしまうというものだった。いかにもダークスリラーといったバッドエンディングだが、フィンチャーはナンセンスだと却下。結果として生まれたのが「ダークな振りして実はハッピーなアトラクションムービー」という完成版だったのだ。
『ゲーム』予告
ただ、本作をハッピーな映画と捉えるにはスリラーとしての緊張感が高く、多くの人が「ガチのスリラー」だと勘違いしてしまったのが、賛否両論の主となる原因だったと思っている。フィンチャー自身がそのミスリードを意図的にやっているので、フィンチャーに責任があると言えなくもないし、バランスが悪いという批判を受けるのもしょうがない。
ただ『ゲーム』という映画が目指したのは、誰もが納得するバランスのいいエンタメではなく、オーソドックスなストーリーテリングを引っ掻き回し、“どんでん返し”と“どんでん返さず”の狭間で観客の気持ちを宙づりにする、極めて不安定かつトリッキーな刺激だったのだ。