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『ゲーム』「どんでん返さない」確信犯たち。賛否両論を超えた先にあるものとは

(c)Photofest / Getty Images

『ゲーム』「どんでん返さない」確信犯たち。賛否両論を超えた先にあるものとは

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冒頭とラストでジャンルが変わる!?



 『ゲーム』という作品の不幸は、フィンチャーが試みたメタなトリックに対して多くの観客が付いていけなかったということ。『ゲーム』の2年後の1999年にはM.ナイト・シャマランが『シックス・センス』を発表して世界的に大ヒット。この時点で シャマランはまだ“どんでん返し”の監督だったが、2000年の『アンブレイカブル』では『ゲーム』にも繋がる“どんでん返さず”監督としての新境地を見せ始める。 


 『アンブレイカブル』並びに多くのシャマラン作品と『ゲーム』との相似点は、冒頭とラストでジャンルが変わる、入口と出口がまったく別のところにあることだ。『アンブレイカブル』は、悲惨な列車事故で唯一無傷で生き残った主人公が、一体なぜ自分が無事だったのかを模索する超常ミステリーとして始まる。ネタバレをしますよとお断りした上で同作の出口を書くと、主人公は本人すら知らなかったが、実は不死身のスーパーヒーローだったことが判明する。要するに、やけにダークなムードで始まるのに、ヒーロー 誕生を描くエピソード1的なお話だった、という仕掛けである。 


 シャマランは“どんでん返し”がトレードマークだと言われることが多いのだが、実は同じくらい“どんでん返さず”の映画 も作り続けている。“どんでん返さず”について改めて説明しておくと、「〇〇のようで××、と見せかけて、実はやっぱり〇〇でした!」という、フェイントのフェイントはストレートでした、というオチの付け方のことだと思っていただきたい。 


『アンブレイカブル』予告


 シャマラン作品で言えば『サイン』は“どんでん返さず”で、『ヴィレッジ』は“どんでん返し”の映画ということになる。 「どんでん返しと書くことがすでにネタバレ」みたいなネタバレ論もあるが、それでは話が進まないので一旦脇に置いていただきたい。 


 『サイン』はとある農場で暮らす一家が“宇宙人の侵略”というトンデモ話に取り憑かれて、恐怖を増殖させていく物語だ。 宇宙人なんて本当に実在するのか? 亡くなった妻が言い残した謎の言葉は、一体どんな意味があるのか? いくつものクエスチョンを投げかけつつも、結局宇宙人は実在し、農場を襲撃し、亡き妻の謎の言葉がまんま撃退法になって一家は救われる。すべてのクエスチョンの答えが「イエス」なことに驚かされる“どんでん返さず”の究極形だ。 


 『アンブレイカブル』や『サイン』は大ヒットしつつも「バカげている」という批判も浴びた。“どんでん返さず”は“どんでん返し”を期待する観客に対してちぇぶ台返しをするような暴挙でもあるからだ。しかし、先のネタバレ論にも通じるが、「どんでん返し」を期待すること自体がすでにネタバレであり、もはや“どんでん返し”のバリエーションを楽しんでいるだけで、そこに驚きなどないのではないか。“どんでん返し”を新鮮に“どんでん返し”するにはもはや“どんでん返さず”しかないのではないか? 


 そんな自問自答をフィンチャーやシャマランらがしたかは知らないが、結果的に彼らの“どんでん返さず”は、『シックス・ センス』のようにオチだけで騒がれてしまうのではなく(実際は親子の和解のドラマなのだが)、話題性だけにとらわれずに表現の妙やディテールを堪能する楽しみを観客が取り戻すいいきっかけにもなったと思っている。



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