文化・社会的背景をスマートに伝える映像演出法
このように、『人生はビギナーズ』をはじめとするマイク・ミルズ監督の作品は、「孤独」を媒介とした人物描写、監督が彼らにそそぐ優しいまなざしが特徴的だが、映像的にはトリッキーな部分も多い。代表的なものは、「スライドショー的演出」と「時間のザッピング」だ。
『人生はビギナーズ』や『20センチュリー・ウーマン』には、イメージ映像がスライドショーのように短い間隔で挿入されるシーンがある。往々にしてキャラクターの「個人史」を示す際に使われるのだが、そこに「記録映像や写真」が挟まることで、時代や社会、さらにはそこから派生した文化との接点が生まれる。その結果、たった数分の映像で、「その人物の思考や時代背景、文化的な素養」が視覚的に理解できるのだ。
『人生はビギナーズ』では、父の時代の星空や森と、原題の星空や森の写真を交互に並べたり、合衆国大統領の写真を比較したりすることで、時代の違いを示している。スライドショーでありながら、コラージュの要素も持っている人物紹介のテクニック。ミルズ監督は、この手法について「ドキュメンタリーとフィクションの合間を探る」というような説明をしているが、非常に彼らしいスマートな演出だ。
『20センチュリー・ウーマン』予告
元々現実世界にある素材を集め、そこに創作の素材を混ぜることで、一つの世界を生み出す。このやり方は、グラフィックデザイナー的な感覚ともいえる。しかも、彼がチョイスする素材がいちいち秀逸で、センスの良さ――ミルズという文化人の“感度”も、同時に見せつけられてしまうのが心憎い。さらに、『人生はビギナーズ』ではジャズの名曲がかぶさり、『20センチュリー・ウーマン』ではトーキング・ヘッズやデヴィッド・ボウイの名曲が彩る。
また、「時間のザッピング」は『人生はビギナーズ』で顕著に表れた演出法。ミルズ監督の作品はモノローグが効果的に使われており、登場人物が自分の過去を語ったり、数か月前を回想したりと、“過去”の描写が多い。ここまでは他の作品でも見られるものだが、ミルズ監督はそこに「過去の記憶が曖昧」というリアルな要素を入れてくる。
『人生はビギナーズ』の中で、オリヴァーは父ハルがゲイだとカミングアウトした際のことを「パープルのセーター姿の印象だが、ガウンだった」と回想する。そのモノローグに合わせて、ハルの服装は数パターンがザッピングされるのだ。我々の中にある記憶の曖昧さを、一発で見せきる映像演出の妙。一見すればお洒落なアプローチなのだが、そこには現実味が根差しており、決して飛び道具的な用法ではない。全体的なトーンは穏やかで淡々としたものに統一しながら、要所でこうした細やかな、気の利いた演出を施してくるミルズ監督。彼の作品が、静謐であっても地味な印象にならないのは、随所にモダンで洗練された業が光るが故だろう。
彼の才能が高く評価されているのは、本国の配給会社からも感じられる。『人生はビギナーズ』はフォーカス・フィーチャーズ。『20センチュリー・ウーマン』はA24(製作はアンナプルナ・ピクチャーズ)。作家性を重んじつつ、良作を多く扱ってきたスタジオばかりだ。ミルズ監督の新作『C'mon C'mon(原題)』は、製作・配給ともにA24。こちらはホアキン・フェニックスが主演を務める。現在制作中とのことだが、座組の時点ですでに期待が高まるところ。
マルチクリエイターであるマイク・ミルズ監督をカルチャーやアートの側面で掘り下げていくならば、まだまだ無限に書き連ねることが可能だ。だが個人的には、彼のことを全く知らない高校生が一瞬で虜になった、「孤独の描き方」がいまだ強烈に残っている。どれだけ知識を得たところで、あの当時に抱いた、ミルズ監督への「感謝」に勝るものはない。決して陽の当たる学生生活を送ってはいなかった自分にとって、彼の映画は間違いなく「救い」だった。
いまはなき渋谷のミニシアター、シネマライズの壁に、マイク・ミルズのサインが書かれていたことを、よく覚えている。「ここに彼がいたんだ」と、ただただ歓喜し、想いを馳せた。2016年の閉館直前、最後にもう一度見たくて訪れ、目に焼き付けた。再び彼の作品が日本公開され、あわよくば来日が叶ったならば、感謝を伝えたいものだ。あなたの作品を観て、自分の人生は「始まった」のだと――。
文:SYO
1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」 「シネマカフェ」 「装苑」「FRIDAYデジタル」「CREA」「BRUTUS」等に寄稿。Twitter「syocinema」
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