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『トリコロール/白の愛』悲劇/喜劇の転換で描かれる〈愛の平等性〉

(c)Photofest / Getty Images

『トリコロール/白の愛』悲劇/喜劇の転換で描かれる〈愛の平等性〉

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『トリコロール/白の愛』あらすじ

ポーランド出身の美容師である主人公・カロル(ズビグニェフ・ザマホフスキ)は、パリにて愛するフランス人の妻・ドミニク(ジュリー・デルピー)と夫婦生活を送っていたものの、性的不能を理由に一方的に別れを告げられてしまう。そんな彼は、とことんツイていない。物語の出だしから不運にも平和の象徴である鳩のフンを浴び、生活のためのカードは差し押さえられ、トランクひとつで街に投げ出されたカロルはたちまち路上生活を強いられることに。そんなおり、彼は偶然にも同郷の男・ミコワイ(ヤヌシュ・ガヨス)と出会い、ワルシャワへの帰郷に成功。やがて実業家としてのし上がったカロルは、ドミニクへの復讐に打って出る。


Index


『青の愛』から引き継がれる「運命」



 自分を捨てた妻に、夫は復讐する──『トリコロール/白の愛』(94)のあらすじを端的に記すならば、おおよそこんなものである。


 クシシュトフ・キェシロフスキ監督による本作は、「トリコロール三部作」の第二作目にあたるものだ。三部作はそれぞれに、“自由”、“平等”、“博愛”をテーマとし、第一作目『トリコロール/青の愛』(93)では“愛の呪縛からの自由(記憶からの再生)”が描かれている。少しばかり重たいトーンの作品でもある同作に対し、第44回ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞した『トリコロール/白の愛』(以下、『白の愛』)で軽快に綴られているのは、一組の夫婦の愛憎。“愛に平等は存在するのか?”という主題が掲げられている。


『トリコロール/白の愛』予告


 これはある種の「復讐劇」ではあるのだが、あくまでも“ある種の”ものであり、何も血なまぐさい惨劇が繰り広げられるわけではない。あらすじを詳述してみよう。ポーランド出身の美容師である主人公・カロル(ズビグニェフ・ザマホフスキ)は、パリにて愛するフランス人の妻・ドミニク(ジュリー・デルピー)と夫婦生活を送っていたものの、性的不能を理由に一方的に別れを告げられてしまう。そんな彼は、とことんツイていない。物語の出だしから不運にも平和の象徴である鳩のフンを浴び、生活のためのカードは差し押さえられ、トランクひとつで街に投げ出されたカロルはたちまち路上生活を強いられることに。そんなおり、彼は偶然にも同郷の男・ミコワイ(ヤヌシュ・ガヨス)と出会い、ワルシャワへの帰郷に成功。やがて実業家としてのし上がったカロルは、ドミニクへの復讐に打って出る。


 前回『青の愛』について書いた際に、“キェシロフスキといえば、「運命」を描き続けた作家だ”と述べたが、それは「トリコロール三部作」の一連を通してもいえること。ラストを飾る『赤の愛』では、三作品の登場人物たちが「運命」を共有するクライマックスが用意されている。これについて述べるのはまたの機会にし、ここでは『青の愛』と『白の愛』の関係に触れるのにとどめておこう。


 本作『白の愛』の冒頭に、カロルとドミニクが裁判所にてやり取りをするシーンがある。この場に『青の愛』のヒロイン・ジュリー(ジュリエット・ビノシュ)が一瞬だけ姿を見せ、また別のシーンでは、同作に登場した腰の曲がった老女が姿を見せる。『青の愛』ではジュリーがこの老女を見つめ、『白の愛』ではカロルが見つめている。視線の先にある彼女の姿は、見つめる者の置かれている状況や心情をまるで表象しているかのようだ。彼女の取る行動は同じだけれど、ジュリーとカロルそれぞれの視点を介することで見え方は変わってくるだろう。こうして登場人物たちの営みが交差するさまは、まさしく運命的なのである。



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