2021.03.31
電話というモチーフ──繋がるためのツール
現代は毎日が騒がしい。誰かからの電話やメールのみならず、インターネットを開けば、そこには声(=言葉)が溢れ返っている。こんなに簡単に人と人とが繋がることができる時代になって、どれくらい経つのだろう。公衆電話はあまり見かけなくなり、自宅に固定電話機があるという人はもはや少数なのではないだろうか。技術の発達によって、一人ひとりが電話ひとつを所有しているのが当たり前の時代。個人と個人とが、いつでも、どこからでも繋がり合うことができるのが現代だ。
本作『赤の愛』に登場する孤独な老夫・ジョゼフは、日常に溢れ返る声を盗聴によって収集している。この「声」とは、人と人とが繋がり合っている証である。その“繋がり”が、どれほど濃密で、またどれくらい希薄なものなのかは分からない。ジョゼフはある種のこの“繋がりの証”を、盗聴という犯罪行為によってたしかめているのだ。
『トリコロール/赤の愛』(c)Photofest / Getty Images
一方のヴァランティーヌはというと、彼女も騒がしい日々を過ごしている。遠方に住む恋人からの電話が頻繁に鳴り、相手が口にするのは彼女の浮気を疑うような言葉の数々。こんな電話のやり取りで、ふたりの間にある愛をいったいどれくらいたしかめ合うことができるのだろうか。ここにある“繋がりの証”は、恋人のヴァランティーヌに対する疑惑という、醜いかたちとなっている。そんな恋人に対して彼女が不信感を抱いても不思議ではない。果たしてここに、「愛」は存在するのだろうか?
本作は電話のダイヤル音に続いて発信音が鳴り響き、人々の声が交錯するところからはじまる。電話とは、いわば繋がるためのツールだ。いまこの瞬間にも、世界中のいたるところにいる人々がこれを用いて繋がり合っている。ジョゼフは若き日に負ってしまったトラウマによって人間不信に陥っており、他者との繋がりを断っている。しかし盗聴によって、間接的に繋がりを得ているともいえるだろう。彼がヴァランティーヌと出会うのは自身の飼い犬を介してだが、ジョゼフの盗聴という卑劣な行為を彼女が知らなければ、ふたりが深く関わることはないはずだ。人と人とが繋がるはずのためのツールである電話を介して、ふたりは“直接的”に繋がり合うのである。