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『トリコロール/赤の愛』“信じること”のその先にある「博愛」。「トリコロール三部作」を締めくくる「運命と愛」

(c)Photofest / Getty Images

『トリコロール/赤の愛』“信じること”のその先にある「博愛」。「トリコロール三部作」を締めくくる「運命と愛」

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『トリコロール/赤の愛』あらすじ

女子大生のヴァランティーヌと孤独な元判事の老夫・ジョゼフは、彼女が彼の飼い犬を轢いてしまい、怪我をさせてしまうことがきっかけで出会う。ジョゼフが日常に溢れ返る声を盗聴によって収集していることを知り、盗聴をやめるよう説得する彼女に心を動かされ、次第に二人は心を通わせていく。


Index


「運命」を描き続けた作家の最終作



 『トリコロール/青の愛』(93)、『トリコロール/白の愛』(94)に続く『トリコロール/赤の愛』(94)は、クシシュトフ・キェシロフスキ監督による「トリコロール三部作」の最後を飾る作品であり、同監督の遺作でもある。この『赤の愛』は三部作のしめくくりに相応しく、キェシロフスキ監督のキャリアにおける最後の作品として、必然性を感じずにはいられない作品だといえるのではないだろうか。


 “自由”、“平等”、“博愛”がテーマに掲げられたこの三部作。『青の愛』では“愛の呪縛からの自由(記憶からの再生)”が描かれ、『白の愛』では“愛に平等は存在するのか?”が描かれる。いずれも“愛に関する物語”だ。この流れを汲んで描かれているのが、「博愛」。『赤の愛』では“すべてを包む無垢な愛”が大きな主題として据えられている。


『トリコロール/赤の愛』予告


 本作が三部作のしめくくりに相応しい理由は、やはり“愛に関する物語”のラストのテーマが「博愛」であることだ。博愛とは、すべてを平等に愛することを意味している。“すべて”というのは、属性や思想にかかわらず、文字どおりのすべてだ。これはいつの時代にも誰しもに求められる、相互理解を深めるためにも必要なもの。他者を理解しようとし、受け容れようとする姿勢は、やがて愛情が芽生えることへとも繋がるだろう。つまり博愛の態度は、「愛」の萌芽に水をやる行為だと思う。


 本作でそんな愛の交歓を演じるのは、大学生のヴァランティーヌ(イレーヌ・ジャコブ)と、元判事の老夫・ジョゼフ(ジャン=ルイ・トランティニャン)だ。ふたりは年齢も立場も異なる。彼らの間に芽生える愛情がどんな類のものであるのかは、観る者によって変わってくることだろう。


 そんなふたりは、一匹の犬の存在を介して出会う。ヴァランティーヌがジョゼフの飼い犬を車で轢いてしまい、怪我をさせてしまうことがきっかけだ。偶然といえば偶然の出会い。しかし、「運命」を描き続けたキェシロフスキ監督の作品である。この出会いは必然的なものに違いない。“博愛”を描いた『赤の愛』こそ、「トリコロール三部作」に見られる「運命」や「愛」の変奏曲のフィナーレに相応しい。




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