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『日の名残り』誰の人生にもたとえられる、アンソニー・ホプキンスが体現する“滅私奉公”的生き方
カズオ・イシグロが描く感情と政治
今ではノーベル文学賞受賞作家となったカズオ・イシグロが、この映画のDVDのメイキングの中で、原作小説に関してこんなことを語っている――「人生の虚しさがテーマで、主人公が英国の執事である場合、感情的な部分と政治思想のふたつの点に集約させて描くことになった」。
感情的な部分とは主人公、スティーヴンスとミス・ケントンの恋愛のパートだが、政治思想とはスティーヴンスと主、ダーリントン卿(ジェームズ・フォックス)との政治をめぐる関係である。中盤からダーリントン卿の屋敷にはドイツ政府の高官たちが出入りするようになる。やがて、ナチスに協力することが英国のためになる、と考えたダーリントン卿は政治的に誤った道を選んでしまう。そんな彼は戦後になると「ナチスに協力した貴族」という不名誉なレッテルを貼られ、不幸な晩年を送る。
ダーリントン卿のことを本気で心配していたのが、親友の息子のカーディナル(ヒュー・グラント)である。記者となった彼は、ダーリントン卿の屋敷で国家を左右する重要な会談が開かれていることを知り、その様子を探ろうとする。そんなカーディナルに政治的な見解を尋ねられても、スティーヴンスは何も答えられない。もし、彼に政治的な見解があれば、ナチスに利用される主を救うことができたのだろうか? その答えは誰にも分からない。
『日の名残り』©1993 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
戦後になると裕福なアメリカ人(クリストファー・リーヴ)が屋敷を買い取る。英国社会に大きな変化が訪れつつあった。小説の書き出しは「1956年7月」。この年、演劇界にはジョン・オズボーンが「怒りを込めて振り返れ」で登場して、“怒れる若者たち”と呼ばれる戦後世代が注目される。そして、1960年代初頭にはザ・ビートルズも出現し、新しい若者文化が開花する。老人となったスティーヴンスは、すっかり古い時代の遺物になりつつあるが、強い職業意識を貫く彼の姿は不思議な共感も呼ぶ。
イシグロは前述のDVDのインタビューで「この物語は誰の人生にもたとえられる。国や時代を超えて共感できる普遍的な人間ドラマだ」とコメントしている。主人公は自分の信じる道をひたすら歩んできた。滅私奉公の彼は父の臨終にも立ち会えず、生涯ただ一度の恋のチャンスも逃し、失脚する主も助けることはできなかった。しかし、それでも仕事に誇りを持ち、今は新しい主人のために力を尽くす。
アンソニー・ホプキンスの持つ人間的な魅力が、スティーヴンスの心の葛藤や弱さをリアルなものにしている。彼の旅に観客の私たちもふと自分の人生を重ね、過ぎ去った出来事やかなわなかった夢を振り返ることになるだろう。
文:大森さわこ
映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書に「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「週刊女性」、「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。
『日の名残り』
Blu-ray:2,619円(税込)
発売・販売:(株)ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
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