別エンディングで顕著な『蝶々夫人』との関係
以上が公開版の顛末である。『危険な情事』は浮気の代償を描いたサイコ・スリラーとして、1987年度の世界興収でトップの数字を樹立。第60回アカデミー賞で作品、監督(エイドリアン・ライン)、主演女優(G.クローズ)、助演女優(A.アーチャー)、脚色(J.ディアデン)、編集の計6部門で候補に挙がる。批評家からも、『大人たちが実際に住んでいる場所にホラーを持ち込んだ』(タイム誌)、『観客たちはエイドリアン・ラインが新しいロマンチック・スリラーを生み出した瞬間を忘れないだろう』(ニューヨーク・タイムズ誌)等、高評価を獲得する。
一方で、アレックスを単なるサイコパスとして描いた点がフェミニストたちから問題視され、ピューリッツァ賞受賞のジャーナリストのスーザン・ファルディは、『アレックスを全面的に否定するためにオリジナルのプロットに大きな変更が加えられている一方で、ダンの不注意や思いやりの欠如については何の議論も起こらない』と断罪した。
『危険な情事』TM & Copyright (C) 1987 by Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved. TM, (R) & Copyright (C) 2013 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
では、ファルディが指すオリジナルのプロットとは如何なるものだったのか?『危険な情事 スペシャル・コレクターズ・エディション』(DVD)の特典映像にも収録されている幻のエンディングをここで改めて紹介しよう。
アレックスのアパートで暴行に及んだ翌日、刑事が家にやって来て、アレックスが喉をナイフで掻き切られた状態で発見されたこと、凶器の柄にはダンの指紋がべっとりと付いていたことを告げる。こうして、ダンは殺人の容疑者として一旦は逮捕されるが、アレックスの自殺予告を録音したカセットテープが発見されたことで、ダンは救われる。
このエンディングでは、時間が1日巻き戻り、アレックスが首筋にナイフを押し当て、ゆっくりと喉の奥まで突き刺すショットがフラッシュバックで挿入される。背景に流れるのはプッチーニのオペラ『蝶々夫人』のアリア、『ある晴れた日に』だ。
オペラ好きだったアレックスが死の間際に選んだのは、劇中でも度々引用される名曲。没落藩士の娘である蝶々夫人が、アメリカ海軍士官のピンカートンと結婚するが、ピンカートンは帰国し、別の女性と結婚。その事実を知った蝶々夫人はピンカートンとの間に生まれた子供を残し、失意の果てに自殺するという物語だ。その設定はアレックスが置かれた立場と符合し、映画にはさらに痛烈なアレンジが施されている。ダンの子供を妊娠していたアレックスは、生まれてくる子供と一緒に自らの命も断ち、その罪をダンに負わせるという復讐を上書きするのである。その目論見は最終的に破綻するのだが…。