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『花様年華』曖昧な時間経過と曖昧な関係、そして移ろいゆく香港

© 2000, 2009 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.

『花様年華』曖昧な時間経過と曖昧な関係、そして移ろいゆく香港

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1966年と1997年、〈宙吊り〉の香港で



 チャウとチャン夫人の関係が壊れ、〈宙吊り〉の時間が終わった後、この映画は表情を一変させる。物語の舞台は、1963年のシンガポールを経て、1966年の香港へ。チャン夫人が久々にアパートを訪ねると、大家は自身がアメリカへ引っ越すことを告げた。「アメリカにいる娘が、香港の今後を心配しているの」。同じくアパートに戻ってきたチャウも、人々が次々に香港を去っていることを知らされる。二人の背景にあった社会が、たちまち前景化してくるのだ。


 1966年に中国で起こった文化大革命は、イギリスの植民地だった香港にも無関係ではない。第二次世界大戦後、香港は社会主義国家の中国とは異なり、資本主義に基づく社会のシステムを構築し、中国大陸と香港の行き来も制限されていたが、文化大革命を受けて中国大陸の人々が中国から香港に逃れ、香港の人口は急増。中国共産党の影響により、香港でも左派のデモや暴動が発生した。翌1967年に起こった六七暴動は、死者50人以上、負傷者840人以上という被害をもたらし、5,000人以上が逮捕されている(政府発表、「香港を知るための60章」より)。


 カーウァイは、本作『花様年華』について「いわゆる男女のラブストーリーなのかと言われれば、そうではないと思う。ある時期の終わりを描いている作品だ」と語っている。そして、作品のキーワードが1966年であることを認めているのだ。



『花様年華』© 2000, 2009 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.


 「香港の歴史における、ひとつのターニングポイントが1966年なのです。大陸の文化大革命が多大なる影響をもたらし、香港の人々は未来について考えざるをえなくなった。彼らの多くは中国から40年代後半に移ってきて、比較的穏やかな時間を20年近く過ごし、新しい生活を築いた。けれども、前進しなければならないと思うようになったのです。だから1966年はひとつの終わりであり、別の何かの始まりなんですよ。」


 1958年に上海で生まれたカーウァイは、5歳で香港に移住した。60年代は自身のアイデンティティに通じる時代とあって、『欲望の翼』の製作時には「当時を個人的に描き直したかった」と述べている。しかし本作では作家としての視野を広げており、「現実を創造し直そうとした。日常生活や国内の状況、隣人、それらすべてに言いたいことがあった」と語っている。つまりカーウァイは、チャウとチャン夫人の〈宙吊り〉の時間に、香港という土地と、そこに暮らす人々が抱えるはめになった曖昧さを託したのだ。1966年に二人の関係が終わり、それぞれが別の道に進むことは、ただの破局にとどまらない含意がある。


 1966年から31年後の1997年、香港はイギリスから中国へ返還された。香港は中国本土とは異なり、「一国二制度」のもとに資本主義制度を維持することが認められている。しかし、そこには「少なくとも50年間」という但し書きが付いており、すなわち香港は新たな〈宙吊り〉の時間を与えられたのだと言える。香港返還後はじめての監督作となった本作で、カーウァイは60年代の男女と社会を通し、この新たな〈宙吊り〉の状況をも提示しようとしている。チャン夫人との「花様年華」を終えたチャウは、ただ一人、シンガポールとカンボジアの土地をさまよい始めるのだ。




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