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『17歳の瞳に映る世界』ドキュメンタリータッチが浮き彫りにするアメリカの現実

(c)2020 FOCUS FEATURES, LLC. All Rights Reserved.

『17歳の瞳に映る世界』ドキュメンタリータッチが浮き彫りにするアメリカの現実

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映し出されるアメリカの悲惨な現状



 そんな都会がもたらす現実は、さらにオータムを追いつめてゆくのかと思いきや、ペンシルべニア州でオータムが感じた出口のない絶望ほどには、意外にも厳しいものではなかった。“都会は他人に関心のない冷たい場所で、田舎はあたたかく親身になってくれる人が多い”という、漠然としたステレオタイプなイメージは、必ずしも事実ではないということを、本作は映し出すのだ。


 アメリカの最高裁は、1973年に中絶を女性の権利だと認めた。だが近年になって、南部のアラバマ州では、レイプを原因とした妊娠を含めて、中絶自体を禁止する州法が成立。それに続いて、胎児の心音が聞こえる段階での中絶がミシシッピ州など、比較的保守的な州で禁止されることとなった。それには、これらの地域に根強いキリスト教福音派や、カトリックの思想が影響している部分もあるだろう。この州法は、胎児の生まれてくる権利を保障する一方で、女性が長年の闘いによって勝ち取った、“自分の体のことを自分で決定する”権利が剥奪されていると見ることができる。


 そんなオハイオ州に隣接するペンシルべニア州では、中絶が認められてはいるものの、同様に宗教的な倫理観や、保守的な思想から、中絶手術を選択する女性に非難の目が向けられる場合が、ニューヨークの街中に比べると多い状況にあるといえよう。



『17歳の瞳に映る世界』(c)2020 FOCUS FEATURES, LLC. All Rights Reserved.


 オータムが診察を受けたペンシルべニアの医院は、彼女が中絶を希望すると、「いったい、いつの時代に制作されたんだ?」と思うような、中絶へのネガティブなイメージを増幅させる意図を持った古いビデオ映像を見せられたり、堕胎を責める言動を直接浴びせられることになる。中絶を否定する思想を持つ人の気持ちも尊重されるべきだが、それを他人にまで押し付ける行為は問題だろう。少なくとも当事者にとって、子どもを産む、産まないという選択は、一生にかかわる問題だ。少なくとも法律が権利を保障している以上は、誰であっても一方の選択を強いることはできないし、産む人のその後の人生に責任を持たない者だとすれば、なおさら介入してはならないはずだ。


 オータムがニューヨークでたどり着いた医院では打って変わって、医師やカウンセラーが17歳の少女の立場に立って、意志を最大限に尊重しながら対応を模索していこうとする。重要なのは、同じ国に住んでいても、場所や人によって、州法や倫理観、相談への対応などが大きく異なる場合があるということだ。そして、それは当事者の人生を大きく変化させてしまうことにもなる。


 映画に登場するカウンセラー役を演じたのは、中絶手術を行うクリニックに勤める本物のカウンセラーなのだという。本作が劇映画でありながら、ドキュメンタリーでもあるような異様な雰囲気を放つのは、このような仕掛けが存在するからでもあるのだ。


 そんなカウンセラーはさらに、一方的な性行為を強いられた事実があるかどうかについて、「全くない、稀にある、時々、いつも」という項目からオータムに選ばせようとする。その実際に存在するというカウンセリングのフレーズは、本作の原題『Never Rarely Sometimes Always』にもそのまま使用されている。ここで、本作はオータムに真相を言葉で語らせることはしないし、回想シーンが挿入されるわけでもない。ただ、質問に動揺する彼女の態度や、答えたがらない様子が、真実を浮き彫りにしていくのだ。これは、本作が映画であり、ドキュメンタリー風のアプローチであるからこそ描くことのできる表現である。



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