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『クライング・ゲーム』 自分の中の壁を超えていく尊さ 90年代サスペンス・ラブストーリーの傑作

(c)Photofest / Getty Images

『クライング・ゲーム』 自分の中の壁を超えていく尊さ 90年代サスペンス・ラブストーリーの傑作

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己の中の固定観念を越えていく



 さて、本作は確かに「核となる展開」に注目が集まり、30年前、大きな驚きと絶賛と共に迎えられた。しかし、いま改めてストーリーを俯瞰すると、むしろ観るべきところは「秘密」という一点ではなく、「構造そのもの」だったように私には思える。


 というのもこの映画は、自分の中にある固定観念、周囲の生活環境によって長らく信じ込まされてきた常識を揺るがし、そこに大きな風穴を空けるからだ。


 例えば、序盤からすでに横たわっているのは、アイルランドとイギリスとをめぐる政治的な壁である。


 IRAのファーガスと英軍兵士のジョディはそもそも住む世界が違う。互いの立場が相容れないものであることは序盤から明白だ。しかしいざ彼らが向かい合って「人間対人間」で言葉を交わすと、これまで壁だと思っていたものは嘘みたいに崩れ去っていく。


 そこに生じるのは相手のことを「もっと知りたい」という欲求なのだろう。その純粋なる感情の前では、政治的立場やイデオロギーの違いなど何ら効力を持つことはない。



『クライング・ゲーム』(c)Photofest / Getty Images


 同じことは中盤でも繰り返される。ジョディの恋人をついに探し当てた末に、ファーガスはもう一つの壁に直面する。最初は困惑し、すっかり思い悩む彼。


 しかしここでもやはりこの男は、目の前の人を深く想う気持ちに抗うことはできない。そうやってファーガスがあるがままの感情に身を委ねると、やはり、自分の中で高くそびえ立っていたはずの壁はいつしか立ち消えている。本作にはそうやってどんどん重い鎧を脱ぎ捨て、身軽になっていく魅力があるようだ。


 音声解説の中でニール・ジョーダンは「人は自分自身について深く知るべきだ」と述べ、『クライング・ゲーム』公開25周年記念のイベントの席では「私は、自分がいったい何者なのか知らない人の物語が好きです。(中略)私が作りたいのは、自分を完全に理解することなんてできないと気付く人の映画なのです」(1)と語っている。


 人は誰もが、自分では予測できない未知なる可能性を秘めている。もしも自己の中で新たな発見や変化が生じた時、その部分も含めていかに自分や他者を広く肯定し、受け入れながら前に進んでいけるだろうか。


 本作ではそんな極めて現代的とも言える問いが、優しくも慈愛に満ちたトーンにて投げかけられているように思えてならない。繰り返すが、これは約30年前の映画である。



(1)引用記事URL

https://www2.bfi.org.uk/news-opinion/news-bfi/interviews/crying-game-neil-jordan-stephen-woolley


参考記事URL

https://www.irishtimes.com/culture/film/the-crying-game-they-wanted-me-to-cast-a-woman-that-was-pretending-to-be-a-man-1.3167472

https://www.theguardian.com/film/2017/feb/21/how-we-made-the-crying-game-neil-jordan-stephen-rea-miranda-richardson



文:牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU

1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。



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(c)Photofest / Getty Images

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