作られていた登場人物100人分のエピソード
『牯嶺街少年殺人事件』のストーリーを、その時代背景や、いささか心理的な側面に注目しながらまとめてみれば、おそらくは、ここまで記してきたような内容になるだろう。さまざまな登場人物による複数のプロットが並走し、時には絡み合う物語だが、物語の主な筋立てはシンプルである。
しかしながら、それだけでは『牯嶺街少年殺人事件』のなにかを理解したことにはならないだろう。なぜなら最初にも記したように、本作は小四が小明を殺害するまでの経緯ではなく、事件が起こるまでの“環境”を描くことに力点が置かれているからだ。経緯などは、ただの一要素に過ぎないようにさえ思われる。
幾人ものスタッフや関係者が証言するように、エドワード・ヤンは極めて緻密にストーリーを作り込むフィルムメーカーだ。台湾の大学を卒業したのち、アメリカで電気工学を学んだヤンは、南カリフォルニア大学で映画を学ぼうとするも内容に失望して退学。その後、しばらくはコンピュータ関係の仕事をしていた。筋金入りの理系であるヤンは、製作中から論理的に構造をまとめていく性質だったという。
『牯嶺街少年殺人事件』(C)1991 Kailidoscope
『牯嶺街少年殺人事件』も、その作劇が非常に構造的であることは一目瞭然だ。たとえば懐中電灯、バット、刀というアイテムや、エルヴィス・プレスリーの曲、暴力的な存在感をもって現れる戦車、そして父と息子が並ぶシチュエーションなど、劇中ではありとあらゆるモチーフが反復される。時には、画面の構図やカメラアングルを反復することで、異なる人物の状況やイメージを重ね合わせる。また、上映時間のちょうど真ん中で映画を折りたためば、まるで冒頭と終盤が重なるような構造も特徴的だ。映画スタジオ、小四の寝床である押し入れ、ビリヤード場、父と息子の自転車、そして小四と小明が並んで歩く夜の牯嶺街は、物語の最初と最後に、どちらも印象的なシーンとして登場する。
脚本家のひとりであるヤン・ホンヤーは、本作の脚本について、ヤン監督を含む四人のメンバーが議論を重ねながら執筆していたことを明かしている。人物の内面も深く話し合いながら決めていったそうだ。また、映画批評家のトニー・レインズによると、ヤンは登場人物100人ほどの背景と性格を考え、映画以前・以後の物語を作っていたという。続編のドラマシリーズを作ったら全300話くらいになるほどだったというから、想像を絶するほどの材料が用意されていたことは確かだろう。ヤンと親交のあった研究家の四方田犬彦も、本作の完成後、ヤンが人物の“その後”を映画化したいと話していたというエピソードを記している。
『牯嶺街少年殺人事件』(C)1991 Kailidoscope
ところが、である。かくも徹底的に構築されつくした作品世界にもかかわらず、そして3時間56分という長尺にもかかわらず、『牯嶺街少年殺人事件』は、なにかを理解しようとした途端、まるで指の間をすりぬけていくように、つかみどころがなくなってしまう。なぜ、小四は小明に惚れ込んでしまったのか。なぜ、小明は複数の男と恋愛関係を結んだのか。そして結局のところ、なぜ小四は小明を殺さねばならなかったのか。これらの問いかけに、誰もが納得しうる答えを出すことなどできないように思われるのである。
そればかりではない。ヤンは断固とした意志をもって、物語の重要な部分を観客に伝えまいとしている。親友といえるほどの関係性になった小馬(シャオマー)が、じつは小明と恋愛関係にあったとわかったとき、小四はどんな様子で彼の家を尋ねたのか。激しく対立していた小公園の悪党・滑頭(ホアトウ)が、すっかり真人間になっていることを悟ったとき、小四はどんな表情で話を聞いていたのか。あるいは、雨の夜に自宅を訪れてきた警備総部の男は、玄関先で小四の父になにを言ったのか。そして217が襲撃を受けた夜、停電の暗闇の中で、いったい何が起こっていたのか。それらはすべて観客の目に見えず、その声もまた聞こえない。