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『ドライブ・マイ・カー』対話の“壁”を越える、「言葉」への知的探求

(C)2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

『ドライブ・マイ・カー』対話の“壁”を越える、「言葉」への知的探求

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コミュニケーションの“壁”を乗り越えようとする物語



 まずは『ドライブ・マイ・カー』の成り立ちから。『寝ても覚めても』『スパイの妻 劇場版』のプロデューサー・山本晃久から「村上春樹の短編小説の映画化」を提案された濱口監督は、その際に候補に挙がった作品ではなく、「ドライブ・マイ・カー」であれば、と返答したそうだ。


 というのも、濱口監督はかねてよりこの短編の“声”の描写に惹かれており、『ハッピーアワー』のワークショップでも参考テキストとして用いるなど、縁の深い作品だったから。マスコミ用のプレス資料に掲載されているインタビュー内では、劇中の高槻を表現する「演技ではない言葉」に興味を持った、と語っている(この部分に関心を持つのが、実に濱口監督らしい)。


 この「ドライブ・マイ・カー」は、短編集「女のいない男たち」に収録されている。濱口監督はそこから他の短編「シェエラザード」「木野」の内容も掬い上げ(「シェエラザード」の内容は、冒頭の音と家福の会話などに反映されている)、劇中にも登場する「ワーニャ伯父さん」や「ゴドーを待ちながら」の要素も取り入れつつ、自身の“色”を入れていった。例えば男女の性差、或いは人種の違いにおけるフラットな目線、さらに「言葉」に対する極めて真面目な、敬意さえ感じさせるアプローチだ。



『ドライブ・マイ・カー』(C)2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会


 ちなみに、元々はメインの舞台が韓国になる予定だったが、コロナ禍で撮影が難しくなり、広島に変更して脚本が練り直されたという。ということは、当初は「場所」においても異国の要素が加わり、より言葉へのアプローチが前面に押し出されていたわけだ(韓国・釜山をロケ地に選んだのは「自由に車の撮影ができる」ことが理由というが、恐らくそれだけではないだろう)。


 ただ、舞台を広島に変えたことで、「過去との対話」のニュアンスがより強まっており、平和記念資料館と原爆慰霊碑、原爆ドームを結ぶ「平和の軸線」のシーンが生まれた。みさきが家福と歩きながら、自身の過去をぽつぽつと語る名場面は、この場所だからこそ様々な意味が生まれ、彼女のキャラクター形成においても奥深さが増している。


 先ほど述べた「言葉」は「コミュニケーション」とも言い換えられ、直接的な声を使った会話、手話、或いはしぐさなどのノンバーバル・コミュニケーションが、多言語・多文化で描かれる。そうした意味では、様々な国・地域でのコミュニケーション不全をテーマにしたアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『バベル』(06)に通じるところがあるかもしれない。


 「人は分かり合えない」という前提=現状の分析がまずあって、そこに付随する「言語」「文化」「生い立ち」「性格」といった一つひとつの“壁”を、濱口監督は理解し(或いは理解できないことを認め)、壊すことなく乗り越えようとしていく。つまり映画『ドライブ・マイ・カー』は、全体を通して「受容の精神」にあふれているのだ。ここからは、その部分を中心に、核心的なネタバレは避けつつ作品の具体的な内容に踏み込んでゆく。



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