©2020 Zentropa Entertainments3 ApS, Zentropa Sweden AB, Topkapi Films B.V. & Zentropa Netherlands B.V.
『アナザーラウンド』酒と泪とマッツ・ミケルセン。名演で味わう人生の清濁
黙して語らぬマッツ・ミケルセン、言葉以上に雄弁な芝居
マッツ演じるマーティンは、ひとことで言えば“中年の危機”のまっただなかにある。学校では学生相手に授業をするが、どうも仕事には身が入らず、授業は支離滅裂だとして受け入れられない。夜勤が多い妻とは顔を合わせる機会も少なくなり、仕事の不安もあって、思わず「俺は退屈な男になったか?」と問いかけてしまう。二人の息子も、きちんと自分の話を聞いているかどうかさえわからない。
冴えないが真面目な男であるマーティンのつらさは、映画が始まってわずか10分で示される。まず特筆しておくべきは、そのわずか10分でマーティンの心境を十分に想像させるマッツの演技だ。成熟した大人であるマーティンは、自らのつらさをたやすく口にはしない。しかし生徒や親たちの表情に目を向け、妻と子どもたちのやり取りに耳を傾けながら浮かべる表情には、悲しみや情けなさ、そして怒りのようなものがにじむ。
『アナザーラウンド』©2020 Zentropa Entertainments3 ApS, Zentropa Sweden AB, Topkapi Films B.V. & Zentropa Netherlands B.V.
映画の前半を代表する名場面が、四人が顔を合わせるニコライの誕生会のシーンである。マーティンは最初こそ酒を断るが、しばらく悩んだのち、友人たちに勧められるままウォッカに口をつけ、やがて注がれるワインを速いペースで飲み干していく。堅物な性格をうかがわせるマーティンだが、友人たちの話には柔らかな笑顔を浮かべ、学校での出来事に触れられると顔をしかめ、ついには酒を飲み、とうとう涙をこぼしながら自身のつらさを吐露するのだ。
この場面でマーティンの内面で起こる緩やかな変化を、マッツは台詞ではなく、ほぼ表情のみで演じた。抑制された芝居は言葉よりも雄弁で、その後、なぜマーティンが学校でも酒を飲まなければならなくなるのかは誰の目にも明らかだ。『偽りなき者』に続いて、ヴィンターベア監督はマッツの表情による芝居に絶大な信頼を置いたのである。
そしてこの場面は、本作が手練の演技巧者たちによる会話劇であり、とにかく芝居を見せることに主眼を置いた映画であることも明らかにする。物語の主人公はマーティンだが、友人たち三人もそれぞれのつらさを抱える身だ。ニコライにもマーティンと同じく家族があり、独り身のトミーとピーターには目をそらせない孤独がある。マッツだけでなく、友人役の三人が紡ぐ言葉と表情の演技、そこから見える彼ら個人のつらさも、物語が進むにつれて重要な意味をはらむ。
四人が過ごす静かな日常と、酒を飲みながらの大騒ぎのコントラストには、言いようのない切なさがある。べろべろに酔っ払った中年四人の姿が悲しいのは、彼らが本当に酔いたくて酔っているわけではないことがわかるからだ。酒は、彼らにとって日常からの緊急脱出装置である。しかし四人は緊急脱出装置に頼りすぎたがために、本当に必要な日常からも足を踏み外してしまう。