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『トムボーイ』セリーヌ・シアマが紡ぐ、まだ見ぬ人生への連帯

© Hold-Up Films & Productions/ Lilies Films / Arte France Cinéma 2011

『トムボーイ』セリーヌ・シアマが紡ぐ、まだ見ぬ人生への連帯

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傷跡から始まる物語



 脚本を手掛けたアニメーション作品『ぼくの名前はズッキーニ』(16)で、孤児院のこどもたちを描いたように、脚本家としてのセリーヌ・シアマは、「忘れ去られてしまうこと」に意識的だ。『ぼくの名前はズッキーニ』で、先生の赤ちゃんをあやしながら、「見捨てたりしないよね?」と、こどもたちが先生に確認をとる痛みの記憶が走るセリフ。パリ郊外における黒人の少女たちの連帯を描いた『ガールフッド』(14)では、横並びに町を歩く彼女たちの、ダンスや身振りそのものが「忘れ去られてしまうこと」への抵抗として機能していた。そして、『燃ゆる女の肖像』で、肖像画に描かれた「28」という数字。長編デビュー作『水の中のつぼみ』(07)から続く、セリーヌ・シアマの作家の烙印ともいえようブルーの色調に刻まれたそれらは、やがて大きなものに押しつぶされてしまうかもしれない過去の感情に対する傷跡を確かめる作業であり、未来へ向かおうとする個人の意志の表明でもある。



『トムボーイ』© Hold-Up Films & Productions/ Lilies Films / Arte France Cinéma 2011 


 『燃ゆる女の肖像』のマリアンヌが、たとえ片思いによる恋でも、彼女が肖像画を描くプロセス自体が、マリアンヌのアイデンティティを完成させていくプロセスであったように、『トムボーイ』のロール/ミカエルは、自身を形成していくプロセスそのものをフィルムに刻み込む。『水の中のつぼみ』の15歳の少女たちが持っていた、自身のアイデンティティに対する流動的で曖昧な感情の彷徨や、共同脚本を手掛けたアンドレ・テシネ監督の『17歳にもなると』(16)における、「僕は男が好きなのか、君のことが好きなのか分からない」と告白する男子学生のセリフのように、セリーヌ・シアマは、予め目的を理解した上で、そこへ向かって行動していく主人公を描かない。そして彼ら彼女らがアイデンティティを形成していく道のりで負った傷跡に対して、喪失と獲得をセットにしたフラットなエモーションを提示する。『トムボーイ』は、感情の教育という面で、押しつけがましい教訓性だけを周到に排除している。真に教育的な広がりを持った傑作だ。


 映画の序盤で、ロール/ミカエルは、妊娠した母親のお腹に向けて何かを語りかける。その誰にも聞こえない声は、これから人生を始める者に向けられた、「厳しくなれ、ではなく、強くなれ」という励ましの言葉、あるいは、「決して君を見捨てたりしないよ」という、まだ小さな先輩が送る、精一杯の連帯の言葉だったのかもしれない。


*Women and Hollywood「Interview with Celine Sciamma:Writer/Director of Tomboy 

https://womenandhollywood.com/interview-with-celine-sciamma-writer-director-of-tomboy-f3987112b60b/



文:宮代大嗣(maplecat-eve) 

映画批評。ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。



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『トムボーイ』

9月17日(金)より新宿シネマカリテ他にてロードショー

© Hold-Up Films & Productions/ Lilies Films / Arte France Cinéma 2011 

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