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『空白』不寛容の“先”に、手を伸ばす。映画史の足跡を継いだ一作

© 2021 『空白』製作委員会

『空白』不寛容の“先”に、手を伸ばす。映画史の足跡を継いだ一作

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加害者と被害者を分ける、紙一重



 ただ、『空白』は「この社会は腐っている」と吐き捨てて終わる作品ではない。加害者と被害者の立ち位置が曖昧で、見ず知らずの他者がバーチャルに参入できる現代において、“気づき”を与えんとしている。その志を象徴する人物が、良心の役割を任された野木(藤原季節)、反面教師として機能するスーパーの店員・草加部(寺島しのぶ)だ。


 野木においては、傍若無人で自分をこき使う添田に辟易しながらも、その奥にある痛みや苦しみ、孤独を“理解”しようとする。添田がネット上でさらし者にされている姿を見て心を痛め、食い物にしようとするメディアから守ろうと本気で怒るシーンは、人間的な“情”を感じさせ、ある意味で人が本来あるべき姿を再認識させることだろう。我々は真の意味で他者に寄り添い、理解しようとしているだろうか? デジタルネイティブに限りなく近い世代の野木という“若者”が、対人コミュニケーションの本質を提示する――。ここもまた、本作が纏ったメッセージを強く感じさせる構造的な仕掛けだ。


 なお、本作には野木という“若者”と青柳の祖母という“年長者”が登場するが、上世代と下世代でどちらも「誠心誠意対応することで、きっと人は分かり合える」と諭すシーンが含まれているのが印象的。そこに、他者との距離をうまく測れない草加部がある種の対極として存在する点が興味深い。



『空白』© 2021 『空白』製作委員会


 正義感が強く、「困っている人を助けたい」という想いが人一倍強い草加部は、時として他者の“声”をうまく聴くことができない。青柳に対しても「遠慮」と「拒否」の違いを識別できず、善意のお節介が彼を苦しめてしまう。ボランティア活動を熱心に行っているが、自身の正義感を押し付けすぎて添田からは「偽善者」と呼ばれ、彼女自身も青柳に好意を抱いたり、若手ボランティアをなじってしまったりと、フラットな立場ではなくなっていく。


 つまり、彼女が掲げるのは、正義の前に「自分が思う」が付くのだ。「社会や世界をよくしたい、人を助けたい」という崇高な目的を持って活動を始めたはずだが、俗人に落ちていたと気づき涙するシーンは、痛々しくもやるせない。ただ同時に、草加部が「悟る」シーンは成長の予兆ともいえ、ある種の救済とも見て取れる。彼女は、吉田監督の「キャラクターを生きた人として見つめ、消費しない」人物描写の“深み”を感じさせるキャラクターでもあるのだ。


 また、青柳においても“災難を被った被害者”としてだけ描くのではなく、追い詰められた彼が「頼んだ弁当が間違っていた」という理由で弁当屋にクレームを入れ、「殺すぞ貴様!」と恫喝し、自らに絶望するシーンを入れている点が絶妙。これは、彼を苦しめている「姿の見えない悪意」を、青柳自身が体現してしまったということ。加害者が簡単に被害者になり、その逆も常に起こり得るのだ。


 そうしたテーマは、花音は生前、何を考えていたのか?(きっとわからない)という「空白」とも密接にリンクし、我々の心に言い知れぬ感情を呼び起こしていく。芥川龍之介の「藪の中」ではないが、バイアスのかかった“事実”が氾濫する世界でどうにか「折り合いをつけていく」しかない。『空白』は、喪失感を抱えた人々の心の葛藤の記録でもある。



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