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『The Hand of God』パオロ・ソレンティーノが若者たちに捧げる郷愁と希望の自伝映画

Gianni Fiorito

『The Hand of God』パオロ・ソレンティーノが若者たちに捧げる郷愁と希望の自伝映画

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誰も見たことがないナポリへのアプローチ



 映画のタイトルになっている”神の手”は、1986年のFIFAワールドカップ準々決勝で、ディエゴ・マラドーナが思わず手を使ってゴールを決めてしまった直後に発した、本人の言葉を引用したもの。映像を再生してハンドと判明した時、マラドーナは「神の手が触れた」と弁明したのだ。


 マラドーナは1984年6月に、当時史上最高額の移籍金によってFCバルセロナからセリエAのSSCナポリにやって来る。それが、映画の主人公でソレンティーノの分身である少年ファビエットとマラドーナの接点である。


 しかしマラドーナは、少年時代の一風景に過ぎない。映画の大部分は、優しい両親や個性溢れる親戚たちと過ごす、何気ない夏の日の出来事や、突如訪れる悲劇と無垢な時代の終焉、そして舞台となるナポリを含むカンパニア州の劇的に美しい風景で占められている。ソレンティーノはそれら過去の記憶を映像作家としてのフィルターに通し、さらに程よいデフォルメを加えて観客に提示していく。事実は空想によって、よりリアリティを増すのだと言わんばかりに。実はそこが、本作最大の魅力でもある。


 冒頭はナポリの俯瞰ショット。ナポリですぐに思い浮かぶのは、ナポリ湾沿いに弧を描いて立ち並ぶ街並み、そしてその奥にヴェスヴィオ火山を望むお馴染みの風景ではないだろうか。しかしソレンティーノは、そんな凡庸なアングルは端から用いない。ナポリ湾の外海側から街に接近していくカメラは、そのまま街中にズームすると思いきや、上空でターンして再び海上へと向きを変え、紺碧の大空へと飛び出していくのだ。まるで、ファビエットの運命を予告するように。

 

『The Hand of God』Gianni Fiorito


 それ以降も劇中には、印象的なショットが次々と登場する。ある時カメラは、街の停留所で押し黙ったままバスを待つ群衆の姿を捉える。その中に一際美しく肉感的な女性がいる。ファビエットの人生に大きな影響を与える叔母のパトリツィアだ。嫉妬深い夫との間で不妊に悩む彼女は、見知らぬ紳士に誘われてとある宮殿に連れて行かれ、床に落ちて傾いた巨大なシャンデリアの光を浴びながら、受胎の儀式のようなものに身を委ねる。


 パトリツィアは家族全員の羨望の的でもある。夏の日、親戚一同で海に漕ぎ出たボートの上で、1人全裸で横たわる彼女を男たちが困ったような顔で眺めている。このように家族は、いつも1つのフレームに収まっていることが多い。マラドーナが出場している試合を見ているのは、家族みんなで集まった親戚の家だ。夏の日差しが差し込むリビングでは、扇風機の風がカーテンを揺らし、両親や兄や叔父や叔母たちが何やら楽しそうに語らっている。





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