全てを語る「歩き姿」
『ラッキー』で一際素晴らしいのはスタントンの「歩き姿」だ。
スタントンはさびれた街角や荒野をか細い足でよく歩く。その姿は劇中に度々登場するリクガメの歩みのごとく神々しい(ここまで素晴らしい歩き姿をスクリーンで見せられるのは他にクリント・イーストウッドくらいだろう)。
荒野を歩くと言って真っ先に思いつくのはスタントンの主演作『 パリ、テキサス』(1984)だ。あれも歩く映画だった。映画の冒頭、主人公のヴィンセントは砂漠の中からよれよれと疲れ切った姿で歩いて現れる。一旦は捨てた自分の息子とも再会し、歩くことで関係を修復、その後、妻とも再会を果たす。しかしヴィンセントは妻子を残し、また彷徨へと戻っていく。癒すことができない傷ついた心はおのずと孤独を好み、自らを荒野へと誘う。
『パリ、テキサス』で演じた主人公についてスタントンはこう語っている。「あれは俺なんだ。おれ自身さ。いつでもおれ自身を演じているんだけどね。俺は自分の内にあるものを外に出そうとする。それが俺の演技なんだ。『パリ、テキサス』のトラヴィスも探している男だ。多分、自分自身を。それがどういうものかは分からないかもしれないけど」
『ラッキー』(c) 2016 FILM TROOPE, LLC All Rights Reserved
『ラッキー』の主人公は『パリ、テキサス』のヴィンセントの30年後の姿だと捉えることも可能だろう。ラッキーはたどり着いた砂漠の街で、人生の最期をどう迎えるべきか自問する。自分の人生に意味などあったのか、と。数多の先行作品が取り組んできた哲学的命題に『ラッキー』は見事な答えを出した。その答えを観客に優しく提示した彼は、何もない砂漠へと再び歩きだす。人は生きている限り歩くしかない。その先には乾燥した荒地しかないかもしれない。しかし、不思議と悲壮感はない。砂漠を歩くような人生も、歩き方次第でいつかオアシスへとたどり着くだろう。スタントンの「歩き姿」はそう語っている。
※文中のインタビューなどは劇場用パンフレットから引用しています。
文:稲垣哲也
TVディレクター。マンガや映画のクリエイターの妄執を描くドキュメンタリー企画の実現が個人的テーマ。過去に演出した番組には『劇画ゴッドファーザー マンガに革命を起こした男』(WOWOW)『たけし誕生 オイラの師匠と浅草』(NHK)など。現在、ある著名マンガ家のドキュメンタリーを企画中。
『ラッキー』
2018年3月17日(土)新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか全国順次公開
2017/アメリカ/88分/英語/シネスコ/5.1ch/DCP
(c) 2016 FILM TROOPE, LLC All Rights Reserved